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老成学研究所 > 時代への提言 > 【寄稿A】医師 本郷輝明シリーズ > 【寄稿A】〈14〉 第7部 5歳で亡くなった子供の夢と100歳で亡くなった高齢者の夢との繋がり 白梅ケアホーム 本郷輝明
第7部
5歳で亡くなった子どもの夢
と
100歳で亡くなった高齢者の夢
との
つながり
白梅ケアホーム
本郷輝明
「コロナ禍における介護老人保健施設の高齢者たち」という題で この連載を始めたが、
一息ついて 私自身のことを述べてみたい。
私が小児科医になったのは1974年で 大学卒業後 札幌から東京の関東逓信病院に研修医として赴任した。
研修医としての初めの1、2年は 子どもがよく亡くなっていた。戦後多かった栄養不良や感染症での死亡は1970年代には少なくなり、小児の死亡原因の上位は小児がんと未熟児と先天性心疾患の子ども達であった。
研修医として働いていた初年度の1974年は、110名受け持ち、亡くなった子どもは11名だった。
その内訳は未熟児3名(最初の子は950gで腸穿孔と腹膜炎で死亡)、上大静脈還流異常などの先天性心疾患で3名、悪性腫瘍で2名(2歳の縦隔悪性リンパ腫の子と9歳の横紋筋肉腫の子)その他先天異常2名や新生児化膿性髄膜炎1名であった。
当時 小児白血病の死亡率は70-75%で、治療してもすぐ再発し亡くなり、上級医はあまり熱心に関わりを持ちたがらなかった。4、5歳で亡くなる子ども達を看取るのは 親も辛かったと思うが、担当した私も辛かった。
また 未熟児を受け持った場合も大変だった。無呼吸発作が頻回で 夜中も未熟児のそばを離れることができなかった。半年経ってやっと 新生児・未熟児用のベビーバードという人工呼吸器が導入され、少し楽になった。しかし 合併症を持っていた場合の救命率は低かった。
小児科医になりたての頃は 「5歳で亡くなる命と100歳まで生きて亡くなる命との違いは何だろうか」と疑問を持ち、悩んだ。また 子どもが亡くなると その子の将来に対する夢を失うことの無念さを親と共に悲しんだ。
「5歳で亡くなる命 すなわち 5年間しか生きられなかった命と100年間も生きた命 との違い」は何だろうか。
長生きした方が人生の価値が高いのだろうか…それは 医学的な死亡原因の違いを離れて「生きた命の価値は何なのか」という問いでもあった。そして このことを私自身に引き寄せ 何度も考えた。
私には小学校に上がる前の5歳の頃の思い出が強烈に残っている。
北海道室蘭市の片田舎に家族6人で住んでいた頃である。
幼稚園を抜け出し、従兄弟と二人で貯木場に浮かんでいる丸太の上に乗って スリルを楽しみながら遊んでいた。すると突然、回る丸太から滑り落ち 貯木場で溺れた。這い上がろうとしたが 丸太がぐるぐる回り 這い上がれない。もう溺れてしまうと感じたその時、通りかかった知らない男性が、固定された丸太に乗り、さらにその先にある、私が捕まろうとしていた回る1本の丸太に片足を乗せて 腕を差し伸べ 私の腕を捕らえ 思いっきり引き揚げ 助けてくれた。そしてその後 何も言わず 立ち去った。私は全身びしょ濡れになり 泣きながら家に帰った。
私が貯木場で溺れたその時、もしその人が偶然通りかからなかったら 私の人生は5歳で終わっていた。その後の人生はない。
5歳までの命とその後の70年間の命の違いは何なのか。時々思い出しては 考えた。長生きした方が価値があるのか。
その後、小児科医になり、主に小児がんの治療に携わるようになったが、その過程で多くの子ども達の死を看取った。
亡くなった多くの子どもを見送りながら、いつも抱いた疑問は「最初の5年間生きた私の命とその後運良く生きた今の私の命の違い」だった。
そして次第に 最初の5年間生きた人生は その後運良く70年間生きた人生と 何らかのつながりがあるのではないか あるいは その時抱いていた「夢」を通してつながりができるのではないか と思うようになった。
ただ、私自身が5歳の頃にどんな夢を抱いていたかは今もって全く思いだせない。多分私は記憶に残るような夢は抱いていなかったのだと思う。ただどんな環境で育っていたかの記憶は残っている。
私の5歳の頃は、戦後7年経ち、(戦争を経験し)生き延びることができた父と母が願ったであろう平和な優しい家庭があり、そこではほとんど喧嘩もなく、近所の人たちと子ども同士あるいは子どもと大人が一緒になり(草野球などに)遊び呆けていた環境であった。
村上春樹は『アンダーグラウンド』で
「人は物語なしには長く生きていくことはできない。
物語というものは、あなたがあなたを取り囲み限定する論理的制度を超越し、
他者と共時的体験を行なうための重要な秘密の鍵であり、
安全弁なのだから」。
さらに続けて
「物語とはもちろん『お話』である。
『お話』は論理でも倫理でも哲学でもない。
それはあなたが見続ける夢である。
あなたはあるいは気がついていないかもしれない。
でも あなたは息をするのと同じように間断なく その『お話』の夢を見ているのだ」。
5年生きた命とその5年間の人生に戦後の平和な家庭で育ったという「お話」ができ、運良く75年生きた命とその人生にも様々な「お話」ができた時、その二つの事柄は価値あるつながり(絆)を持つようになる、と今は考えている。
5年の命と75年の命にお話(自分の経験を自分の言葉で語る事)をつけるのは結局自分自身しかいないと思う。そしてそのお話はどんなところに語り継がれていくのか、その姿も探ってみたい。
今では、5歳で亡くなった子どもの命とその子が持っていた夢を記述し、さらに100歳まで生き100歳で亡くなった高齢者の命とその夢を知ることで子どもと高齢者のつながりができると信じている。名前を持つ一人一人の子どもの気持ちと夢を記載し、さらに90年100年生きてきた一人一人の高齢者の記憶に残る話と夢を記載していくと、ともに同じ感動を引き起こされることが分かった。
この歩みをもうしばらく続けてみようと思う。
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(編集: 前澤 祐貴子)
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