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老成学研究所 > 時代への提言 > 『今、国学の呼びかけるもの』シリーズ > 『今 国学が呼びかけるもの』シリーズ ⑤ : 「賀茂真淵の弟子 塙保己一」
©︎Y.Maezawa
賀茂真淵の弟子
塙保己一
塙 保己一(はなわ ほきいち)
総検校(盲官を総監するもの)になった時の正装坐像
原版 社団法人温故学会蔵
* 頭巾は白地に古代羊形ひつじがた金欄織模様、
上着は赤地に雲立湧模様。
下着は白綸子の綾織、
右手に持つ扇子(中啓ちゅうけい と言う)は表が金、裏が銀の無地紙。
©︎Y.Maezawa
塙保己一は、江戸時代の和学者です。
延享三年(1746年)武蔵国 児玉郡 保木野村(現埼玉県児玉町)の農家に生まれる。
七歳で失明、十五歳で江戸に出、二十四歳の時 真淵に入門。
文政四年(1821年) 総検校**(そうけんぎょう)となり、同年9月12日、76歳で逝去。
** 総検校(そうけんぎょう):
検校は平安時代・鎌倉時代に置かれた荘官、社寺や荘園の監督役職名。
江戸時代になると 国の座をまとめる総検校を最高位として京都におき、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。
検校の権限は大きく、社会的にもかなり地位が高かった。
* 盲目の検校は、専用の頭巾・衣服・杖などの所有が許された。
(Wikipediaより抜粋)
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塙保己一の最大の業績は、
和学講談所***を創設
と
『群書類従』****編集刊行
です。
*** 和学講談所:
寛政5年(1793年)、江戸幕府より設立許可を得、塙保己一が創立。和学(国学)の研究・教育機関。
多くの門弟を育てるとともに、水戸藩から依頼された「大日本史」の校正をはじめ、数々の史料編纂事業を行なった。「群書類従」(670冊)の刊行も実現。
江戸幕府崩壊の慶応4年(1868年)廃止。
(Wikipediaより抜粋)
*※** 群書類従:
塙保己一が編集した国学・国史を主とする一大叢書。
塙保己一は 古書の散逸を危惧し、安永8年(1779年)、菅原道真を祀る北野天満宮に刊行を誓った。江戸幕府、諸大名、寺社、公家などの協力を得て、収集・編纂した。
古代から江戸時代初期までに成った史書や文学作品、計1273種を収めている。
寛永5年(1793年)〜文政2年(1819年)に木版で刊行。
歴史学・国学・国文学等の学術的研究に多大な貢献をしている。
(Wikipediaより抜粋)
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国学成果の双璧は、
本居宣長の『古事記伝』
と
塙保己一の『群書類従』
です。
その双璧は 本居宣長と塙保己一、二人とも 賀茂真淵の門人でした。
七歳で失明した人が文献学者としてこのような業績を挙げることは、画期的なことです。
※ 門人にはその他 屋代 弘賢(ひろたか)、石原正明、長野 美波留(みはる)らがいます。
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浜松市立賀茂真淵記念館
URL: http://www.mabuchi-kinenkan.jp
※ 尚、当シリーズにおきましては、賀茂真淵に関連する資料/画像、及び内容解説に至るまで 浜松市立賀茂真淵記念館(一般社団法人 浜松史蹟調査顕彰会)の許可とご協力のもと、展開させていただく運びとなります。
この場をお借り致しまして その多大なるご尽力に感謝申し上げます。
(編集:前澤 祐貴子)
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