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《私の本棚》 N0.6 書評 『老後破産 長寿という悪夢』 森下直貴 
活動の実績 | 2021.04.07

《私の本棚》 N0.6 書評

『老後破産 長寿という悪夢』

NHKスペシャル取材班、新潮社、2015年

森下直貴


長寿を悪夢にしないために

私たちは何をすべきか

老後とは、老いる前の生活に対して、老いてから以降の生活のことをいう。

その「老後」をめぐって1972年の『恍惚の人』は「絶望」を語った。

「老年学の父」バトラーは1975年の著書の中で「悲劇」と呼んだ。

そしてほぼ40年後の本書では「破産」とされる。


「破産」とはどういうことか。年金で暮らしていた老人が、病気や怪我など、誰にでも起こりうる日常生活の些細な出来事がきっかけとなり、自分の収入だけでは暮らしていけなくなる事態のことだ。

しかし、なぜそうなるのか。

しかも、老後になって初めてそうなるのはどうしてか。


こうした問題にジャーナリストとして正面から取り組んだのが、板垣淑子さんをリーダーとするNHKスペシャル取材班である。成果は『老人漂流社会〜老後破産の現実』となって2014年9月に放送された。本書はこの番組をベースとして描き直されたルポルタージュだ。


ちなみに、同じ取材班はそれ以前の2006〜07年に『ワーキングプア』を、さらに2013年11月には『認知症800万人時代 “助けて”と言えない〜孤立する認知症高齢者』を制作し放送している。あるいは、別のNHK取材班による『認知症・行方不明者1万人の衝撃』(幻冬舎、2015年)もあり、こちらの方は「老成学事始Ⅴ 徘徊論」で紹介している。


なお、本書では2013年以前の統計が援用されているが、これでは現時点の状況が見えてこない。

そこで、以下の説明では比較のために最近の統計で補うことにした。

出典は総務省人口動態調査、厚生労働省、財務省、社会保障・人口問題研究所、OECD経済審査報告等ホームページである。

ただし数字に不慣れなために思わぬミスがあるかもしれない。その節はご指摘いただきたい。

さて、ここから本書の中身に入る。

まず、「老後破産」の背景は大きく分けて2つある。


その1つは世帯の収入が減少していることだ。

バブル崩壊以降の過去20年間、働く世代の年収は下がり続けている。老人の場合もその例外ではなく、一人当たりの年金収入が減り続けている。

働く世代の平均年収は、1990年代に一世帯あたり650万円を超えていた。しかし、2012年には550万円を下回り、300万円以下が3割を超えている。

とりわけ年収200万円未満の「ワーキングプア」は1000万人超だ。親の年金を当てにして共倒れするケースもあれば、引きこもりの子の面倒をみる8050問題もある。

要するに、日本人の多くの世帯で生活力が弱体化しているのだ。


有名なロスリング教授の『ファクトフルネス』(本HP「私の本棚」No.5を参照されたい)では、一人当たりのDGPで見る限り日本は富裕グループに属している。しかし、それはあくまで平均値の場合であって中央値では異なる。

2020年、20代〜50代の男女別中央値を見ると、

女性246〜289万円、

男性250〜456万円

になる。

雇用形態は多岐に渡るが、これを見ると日本人女性の半数が年収300万円を下回っている。


ところが、私も含めて昭和生まれの日本人は、高度経済成長期やバブル期に経験した「豊かな日本」という幻想をなかなか払拭できないようだ。

しかし、それはすでに過去の話であり、実際には日本人の中では貧富の二極化が進行している。

「相対的貧困率」の国際比較で見ると、日本は15〜16%程度、G7のうちで米国に次いで成績が悪い(OECD経済審査報告書2017年)。

もちろん日本にはこれまでに蓄積されてきたインフラや文化資産、治安の良さ等があり、「豊かさ」の指標にそれらを組み込めば話は違ってくるが、少なくとも収入に関していえば確実に貧しくなっていると言える。


もう1つの背景は全世帯の単身化が進行していること、とくに一人暮らしの老人が急増していることだ。

2020年には一般世帯の3割近くが一人暮らし(単独世帯)となった。

人口にして約1500万人。

そのうち高齢者の一人暮らしは約700万人になる。

高齢者全体が約3600万人だからそのほぼ5分の1弱になる。

なお、2035年には高齢者の38%が一人暮らしとなり、とくに東京では44%になると予測される(社会保障・人口問題研究所)。

夫婦で暮らせば2人分の年金でなんとか生活を維持できる。

しかし一人暮らしになると年金収入が減る。


2012年、一人暮らし老人のうち、生活保護の受給者70万人に預貯金などの十分な蓄えのある人を加えて全体から引けば、ざっと200万人余の一人暮らしの老人が120万以下で生活している計算になる。


生活保護については次節でもう少し詳しく説明するが、支給の額には多少の幅があり、単身者の場合は年に150〜120万円程度だ。

問題は自宅があり、かつ預貯金のある一人暮らしの老人の場合である。

彼らはたとえ150万円〜120万円以下の収入であっても、生活保護を受ける条件から外れてしまい、老後破産に陥ることになる。


ここまでは老後破産の背景を説明した。

要は、年金収入の減少と一人暮らしの急増だ。こうした状況下で病気や怪我などが重なって医療費や介護費を支払えなくなると、生活保護水準以下となって破産することになる(13頁)。

それにしても、日本にはセーフティネットとして社会保障制度があるではないか。しかし、問題はそのしくみが現実に対応していないことである(11頁)。


ここで社会保障制度の仕組みを簡単におさらいしてみよう。


最初は生活保護をとりあげる。

日本の社会保障の四本柱は、

⑴社会保険(医療・年金・介護・雇用・労災)、

⑵公的扶助、

⑶保健医療・公衆衛生、

⑷社会福祉(老人・保育・児童・障害者・母子家庭)

である。

このうち⑵公的扶助が生活保護に当たる。

生活保護には生活扶助と住宅扶助のほか、必要に応じて医療、介護、教育、出産、生業、葬祭に対する扶助が含まれる。

老人の場合は医療費と介護費が大きなウェイトを占める。


生活保護(生活扶助+住宅扶助)費は、憲法25条の「生存権」を制度化したものであり、最低生活費に相当する。

しかし、貧困ラインを決めることは難しい。

この基準値をめぐって戦後日本では試行錯誤が繰り返された末、今日では一般国民の消費水準の約6割程度(つまり一般低所得世帯の消費水準)に落ち着いている。

とはいえ、それは消費水準に連動するから、近年ではわずかに減少傾向にある。基礎年金、雇用保険、最低賃金、課税最低限基準は、事実上その生活扶助の基準値に準拠している。


支給額について具体的に見ると、

    大都市部の単身者では月13万円程度(生活約8万円+住宅約5万円)年にして150万円、

     地方の単身者では月11万円、年130万円程度になる。

     夫婦では16万程度になる。

これらに医療費や介護費が加算される。

必要に応じて母子加算や児童加算もある。

そして以上の基準値よりも収入が下回るとその分の差額をもらえることになる。

生活保護受給者は、2008年のリーマンショック後に急増し、2020年4月段階で約206万人(163万世帯)を数える。

高齢者は約90万世帯であり、そのうち一人暮らしの高齢者は83万人になる。これは一人暮らしの高齢者の8%強にあたり、大半は年金収入だけで切り詰めた生活をしていることになる(16頁)。

 

本書には実態調査の一端が紹介されている。

それによると、東京都港区の場合、老人の31.9%が150万円以下、12.3%が400万円以上、残り45%がその間にいる。

他方、山形農村部では老人の54%が120万円以下だ。地方の貧困の方が深刻である(62〜63頁)。


次に介護保険制度をとりあげる。

これは2000年に施行された。

従来の老人福祉は保険原理で支えられてきたが、実質的には家族による自助努力に大きく依存していた。その保険原理に市場サービスを加えたのがこの制度であり、サービス利用時には1割負担になる。

しかし、保険料を滞納したか、要介護度が低いか、利用時1割を支払えない場合、介護サービスを利用できない(64〜65頁)。独居で年金暮らしの老人にとって介護保険料の支払いは重い負担となっている(71頁)。


続いて公的年金制度に移る。

施行は1961年、家族との同居が当たり前だった時代の制度であり、一人暮らしの老人は想定されていなかった(111頁)。

三世代同居の率でみると1980年の60%が2013年に10%になっている(110頁)。

1985年、基礎年金と厚生年金(公務員は共済年金)の二階建てに改正され、学生を含めて国民全員加入となった。

ただし、国民(基礎)年金は満額でも6万5千円にしかならない(生活扶助の基準値に準じている)。


最後は介護施設だ。

年金収入(15万円以下)だけで入所できる公的施設が決定的に不足している。

「特養」では待機時間が長い(これは大都市部の場合であるが、地方では現在、スタッフ不足のため閉鎖された施設もある)。リハビリ中心の「老健」では短期滞在以外に長期入所も可能だったが、最近是正するよう通達があった。

民間有料老人ホームは15万円以上の費用がかかり、特にサ高住では高額になる。軽費老人ホームは劣悪な環境のところが多い(140〜141頁)。

結局、年金だけで入所できる公的な施設の不足が、結果として生活保護受給者を増やしている(163頁)。

ここまで社会保障制度の問題に照明を当ててきたが、「老後破産」という氷山の下に隠れているのはそれだけではない。

家族関係や老人自身の生きがいに関する問題も劣らず重要だ。

本書では後者の問題についてもメインストリートではないが、見逃されてはいない。


老人を支援する側から見れば、老親を介護する家族との関わり方が難しい。

例えば、家族の存在がむしろ支援の妨げとなったり、家族の思いやりが支援を遠ざけたりすることがある(197頁)。あるいは「成年後見制度」では、認知症の老人の場合、後見人がいると相続分が目減りするとか、自宅をあくまで温存したいと考える親族がいて、後見人の選定を拒否するケースがある(198頁)。


他方、生活困窮や、医療・介護の抑制によって追い詰められた老人は「死にたい」と思うようになる(17頁)。

しかし、本書によれば、本当に辛いのは貧困というより、人や社会とのつながりを失い、誰のために、何のために生きているのか分からなくなってしまうことだ(53頁)。

ここで生きる意味の重要性が指摘されている。


以上、「老後破産」の背景や、それに伴う問題点について紹介してきた。

最後に、「老後破産」を防止する手立てに目を向けよう。


本書が焦点を合わせるのは社会保障制度だ。それに関連して本書の指南役である河合克義教授のフレーズ、「高齢者問題はほとんどお金が解決する」(230頁)はとても象徴的だ。

本書では参照例としてフランスの制度が紹介されている。フランスでは何よりも最低生活水準が確保される。その水準を下回った場合は医療費や介護費が安くなる。これは「制度間調整」と呼ばれる(230〜231頁)。

それに対して日本では、生活保護と健康保険や介護保険は別の制度であり、横の調整がない。そのため、生活保護水準以下で暮らしていても医療や介護の負担は一律に1割〜3割になる。

フランスの制度と同じ趣旨の指摘をしているのは、私の知る限り、社会福祉学者の岩田正美さんだ。

私が読んだ著作は『現代の貧困 ワーキングプア/ホームレス/生活保護』(ちくま新書、2007年)と『社会福祉のトポス 社会福祉の新たな解釈を求めて』(有斐閣、2016年)である。


岩田さんによれば、社会保障の四本柱というと聞こえはいいが、それらはバラバラの多面体であり、共通基盤となるべきミニマムが設定されていない(『社会福祉のトポス』408頁)。

社会保障の土台は貧困対策である。

ミニマムとは最低生活水準を意味する。日本で現在、制度として機能しているのは生活保護だけだ。これを合理的かつ実際的に再構成してミニマムとして設定すべきである。このミニマムの上に社会保障制度が建てられる。


以上を踏まえて岩田さんは社会保障制度の三層構造を提案する(『現代の貧困』200〜201、203、207、211頁)。

以下の要約は、私の理解のフィルターを通した敷衍である。


最初の層は、低所得層向けに特化した重点配分政策である。

最近話題の「ベーシックインカム」は全国民向けの一般的な制度だが、この一律のやり方では本当に支援の必要な人々に有効的には届かない。そのためには、生活保護とか、課税、最低賃金、あるいは老人、母子、障害者といった枠を超えて、ミニマムに基づく総合的な貧困対策が必要なのだ。

二番目の層は、公的住宅や老人ホーム、医療、介護、若者、雇用のための再教育、各種のサービスへの金銭・非金銭的扶助である。

これらの扶助がないと最低生活水準から抜け出すことはできない。

そして三番目の層が雇用対策であり、これは一般向けである。


ただし、フランスの制度や岩田さんの提案で気になるのは国民の負担である。

提案はとても合理的だと考えられるが、それを実現するには税金を高くしなければならない。

そこで国民負担率に注目してみる。

これは国民所得のうち税金や社会保険料などの負担の割合を示す。

フランスの国民負担率は2020年に68.2%である。

消費税率は20%、所得税は累進課税であり、例えば課税所得額359万〜962万あたりで税金は30%になる。

他方、日本では1970年の国民負担率は24.3%だったが、社会保険料が平成元年度10.2%から2020年度18.1%に上昇したため、2020年には44.6%になった。

なお、2021(令和3)年度見通しでは44.3%となるが、財政赤字分を加えると潜在的国民負担率は56.5%に上昇する(財務省)。


他方、国民所得額に占める社会保障給付費の割合を見ると、2010年に29.1%であったが、2020年には30.5%になった。

予算ベースの金額で415.2兆円のうち126兆円、国民一人当たり100万円になる。

また、現役世代が高齢者を何人で支えるかを計算すると、1990年に5.1人、2010年に2.6人、2030年には1.7人になる。

これらの数字は世代間の対立を誘発する(3頁)。

以上ここまで少し敷衍しながら本書を紹介してきた。

一つだけ注文をつけるとすれば、本書に登場する老人たちがみな無力で、支援を待っていることだ。

しかし、老人=無力は老人たちの一面ではないか。「老後破産」に陥らないよう自分たちで互いに支え合っている老人たちもいるはずだ。

そういう姿も併せて紹介して欲しかったとは思うが、これは別の企画の話かもしれない。

ともあれ、世論喚起力の高い素晴らしい仕事をするNHK取材班に最大の敬意を表したいと思う。

 
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