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QOL概念の再構成: 四次元連関思考のすすめ
活動の実績 | 2019.06.12

「QOL」を哲学する

生存・生活・人生の<構造>

森下直貴・中塚晶博

J. Seizon and Life Sci. vol. 28-2:103-126, 2018.3

はじめに

尊厳と QOL 尺度のあいだ

人は心身の衰えを感じたとき、自らの老いに直面して愕然とする。「介護」という人間の営みが浮かび上がるのは、まさにこの場面からである(1)。介護の前には自立があり、介護の後には看 取りがある。そして死別に続いて死者との語らいに移る。介護と対照をなすのが「育児」であ る。この営みもまた、未だ見ぬ我が子との語らいに始まり、出産の後は世話に明け暮れ、最後 は子離れつまり自立で終わる。とするなら、介護は育児とともに「世代をつなぐ世話」の一環 ということになる。

介護の目標は一般に、介護される側の尊厳を守り、その幸福を実現することであるとされる(2)。 その際、尊厳や幸福を配慮されるのは介護される側だけでなく、介護する側に対しても同様で あろう。ところが、「尊厳」や「幸福」といった観念はもともと多義的である (3)。加えて社会全 体が大きく変化し、超高齢化・少子化・過疎化・単身化が進行する中で多元化している(4)。その 結果、どうすることが介護に関わる双方の側を尊重したことになり、また、何をもって双方が 幸せであるとみなせるかに関して、介護の当事者や関係者のあいだで共通了解が成り立たず、 判断に迷う状況が生じている。

この曖昧な状況をさらに複雑にしているのが、介護をめぐる経験のいわば一方通行性である。 「介護を受ける」ということはどのようなものか想像することは、実際にその立場になった者 でないと難しい。しかも、介護を受けた「経験者」と「未経験者」が交替する可能性はほとん どない。そこから「意味の不一致」が生じる。実際、要介護者の言動は介護者にとってしばし ば不可解である。面白くもない話や自慢話を延々と繰り返すこともあれば、ひどい悪口や暴言 が出てくることもある。介護する側に落ち度があるとも思えないのに、介護を拒否したり、突 然不機嫌になって怒りだしたりする人もいる。施設では何度説明しても出て行くと言い張って 聞かない入所者に悩まされることも多い。介護者への「セクシャル・ハラスメント」はもはや 日常茶飯事であり、施設入居者同士が「恋愛関係」になることもある。

介護現場では意味の不一致を背景にして、「管理する側とされる側」の関係がしばしば発生す る。その際、介護される側の「尊厳」や「幸福」は、介護する側が定めた QOL(Quality of life) 尺度によって測定されることになる。問題はこの QOL 尺度である。一般に科学的な尺度によって掬い上げられるのは人間の生の表層の一部にすぎない。また、何らかの視点には必ず見えな い側が伴うものでもある。しかし、QOL という管理文脈の科学的な視点の場合、それ以上に、 管理される側の微妙な思いが無視されたり、とりわけその「不幸」が覆い隠されたりする傾向 にある。その結果、一般人には当然のように認められる振舞いであっても、介護「される側」 には許可されないというケースが多々出てくる。例えば、施設内でのプライバシー、入居者が 一人で外出する自由、入居者同士の恋愛、施設内での自慰や性行為がそうである。

要するに、介護をめぐって今日、目標としての尊厳や幸福と既存の QOL 尺度とのあいだには 容易に埋めがたい「隔たり」が生じている。そしてこの隔たりによって、介護する側はジレン マや矛盾に悩まされ、介護される側は無理解や無視に苦しめられる。超高齢社会の将来、類似 の状況はますます広がり、いっそう深刻化するはずである。この隔たりを少しでも埋めるため には何ができるのだろうか。筆者らが注目するのは、たとえ迂遠であっても「人間の生」の本 質的なパターンを捉え、それによって両者に通底する枠組み(構造)を発見することである。

本稿は、哲学的アプローチによって人間の生を全面的に把握し、その基本構造の呈示を試み る。「哲学的アプローチ」とは<意味コミュニケーション>の視点を指す。この試みを通じて、 既存の様々な QOL 尺度の「盲点」が焙り出される一方で、QOL 概念が実質的に拡張され、そ こに「尊厳」や「幸福」が包含されることになろう。筆者らは、人間の生の中心にある「生活」 の構造を介護現場に当てはめた場合、「問題行動」とされる振舞いのほとんどが「コミュニケー ション」の独特の表出として把握できると考えている。

哲学は常識・科学・思想の前提にあるものを問い直し、それを通じて現実の見方に修正を迫 る知の営みである。ただし、大多数の哲学者が実際に行っているのは、固定し硬直した見方を 流動化するまでであり、不完全という誹りを恐れるためか、そこから一歩踏み込んで理念と現 実を媒介するところには至っていない。本稿ではその不完全な構築にあえて挑戦し、筆者らが 考案した意味世界の四区分連関に基づいた<四機能図式>を用いて人間の生の「構造」を把握 する(5)。なお、老人介護は一例であって本稿の射程ははるかに広大である(6)。

1. QOLの概念枠組み

最初に QOL とこれに関連する概念をめぐる研究状況を概観しておこう。関連する概念には「ウェルビーイング」、「豊かさ」や「ウェルフェア(厚生・福祉・福利)」、「満足」や「選好」、「幸 福」あるいは「幸せ」があり、さらに「健康」もある。これらの概念群を区別し連関づけること はなかなか難しい。本稿では関連する概念をすべて QOL に包括する方針であるため、ここでは あえて区別せずに一括して論じることにする(7)。

「幸福」は古より人々の主たる関心事であった。これが QOL との関連で政策目標(「豊かな 社会」)にされたのは 1960 年代の米国である。日本でも 1980 年代になると「心の豊かさ」が人々の関心を集めるようになり、その中で GDP に代わる幸福度尺度が作られ、国民の豊かさに関す る調査も行われた。しかし 1990 年代半ばにはランキング比較を嫌う声があり、その後は中断さ れている。他方、長らく客観性を追求していた心理学であるが、ようやく 2000 年代に入ると主 観的な幸福研究がにわかに増え始める。日本では 2011 年の東日本大震災が転機となって国民の 関心が高まり、幸福研究が進んだようである。ただし、幸福心理学は心理学の世界ではいまなお マイナー分野であると言われている(8)

「幸福」や「満足」を用いる経済学や心理学に対し、「ウェルビーイング」や「QOL」を用い るのはおもに医療・保健・看護の分野である。ウェルビーイングは WHO の「健康の定義」を 受けて日本でも早くから注目され、教育現場にも浸透している。ただし、幸福との境界の曖昧さ については当初から指摘されている。QOL の方は日本では遅れて 1980 年代に終末期や慢性病 への対応をめぐって導入された(9)。1990 年代以降はとくに老年医学の分野で、アウトカム指標 として QOL 尺度を用いた研究が盛んになり、現在に至っている(10)。

以上で概観した諸研究は、いずれも広義の QOL を対象にしているが、その捉え方は専門領域 の関心を反映して様々である。しかし、ここで問題となるのはその捉え方の一面性である。経済 学は QOL の客観的側面に注目し、これと財の大きさを同一視するが、主観的側面との関連につ いては経験的な推測(「高収入なら幸せのはずだ」)に依拠している。それに対して心理学は幸福 の主観的側面に関心を寄せるが、客観的側面との関連を方法論的に断ち切っている。他方、医療 分野の QOL は健康関連の行動・情動レベルに限定されるか、逆に漠然としすぎて具体的な内容 の乏しいものとなっている。とするなら、個別科学の一面的な見地を離れ、哲学の見地から改め て QOL 概念を捉え直してみなければならない。

”Quality”も”Life”も一見するとじつに多義的である。先に”Quality”(質)から検討すると、 そこには客観的な(objective)機能的品質(略して Qo)と主観的な(subjective)感じ方(略 して Qs)の二面がある。Qo(Quality-objective))に当たるのは表出された言動、環境条件、 受け継がれてきた人間の理想であり、他方の Qs(Quality-subjective)には主観的な感覚、意識、 ものの見方・考え方が入る。

次の”Life”(生)はいっそう多義的である。これを整理するためにはレベル(階層)分けを導 入しよう。社会医学・公衆衛生学の分野では「生」が「生命/生存/生活」の三レベルに区分さ れている(11)。しかし、人間の日常活動を考察の中心に置く限り、代謝や免疫といった生命レベ ルの機能は生物行動の基礎として生存に包摂されるし、他方で人の生涯や一生を総括する理念も 不可欠だろう。それゆえ、同じく三レベルでも本稿が採用するのは「生存/生活/人生」の枠組 みである。これは、生物に共通する行動としての「生存」(L1)、人間的な日常活動としての「生 活」(L2)、死後を含めて生活全体を包括する「人生」(L3)の三レベルから構成される。

なお、ここでの「生活」の意味は広義であり、狭義の生活すなわち衣食住の暮らしだけでなく、労働、教育、政治、芸術といった人間的な活動のすべてを包含している。人間の生の中心にある のがこの広義の生活すなわち人間的な活動である。そして生活の基盤が「生存」であり、生活の 総括が「人生」になる。

最後に、もう一つ考慮すべき論点が残っている。それが、QOL 概念は個人だけに当てはまる か、それとも集合体(国民や人類)にも適用されるのかである。これに関しては、ミクロの個人 であろうとマクロの集合体であろうと、Q の二面と L の三レベルは同様に適応できると考えて おこう。さもなければ、心理学と経済学を共通の枠組みの中で関連づけることはできない。

以上の整理をふまえた QOL の概念枠組み(形式)を図 1 に示す。ここで客観的な Qo と主観 的な Qs は L のレベルごとに連関している。生存 L1(生物行動)では、Qo1 は科学的に検査さ れる動作や状態であり、Qs1 は主観的な健康感覚である。生活 L2(人間活動)では、Qo2 は職業・ 収入・学歴、家族・住居、表現の 自由、余暇時間などの環境条件で あり、Qs2 は主観的な幸せ意識で ある。そして人生 L3(理念)では、Qo3 は文明・文化ごとに受け継が れてきた人間の「理想」であり、Qs3 は自分の人生に関する見方と しての人生観ないしは幸福観になる。

2. 既存の健康関連QOL尺度

上述の枠組みに照らして既存の QOL 尺度を検討してみよう。比較的使用頻度の高い健康関連QOL 尺度として、QOL-AD(アルツハイマー病患者用疾患特異的尺度)、EU 作成の EQ-5D-5L、WHO 作成の QOL26 の 3 つを取り上げる(12)。これらの検討を通じて客観的要素と主観的要素の 連関や、主観的評価と客観的評価の区分に留意しつつ、それぞれを特徴づける中でそのバイアス や盲点を浮き上がらせてみる。

まずは QOL-AD から(13)。これはアルツハイマー型認知症に関して想定される不都合をリスト アップし、それぞれの指標の程度をスコア化するものである。指標を列挙すると、「身体的健康」(Qo1)、「活力」(Qs1)、「気分」(Qs2)、「生活状況」(Qo2)、「記憶」(Qo1)、「家族」(Qo2)、「結婚」(Qo2)、「友人」(Qo2)、「楽しむことができる」(Qs2+3)、「自己全体」(Qs1+2+3, Qo1+2+3)、「家 事をこなす」(Qo2)、「金銭」(Qo2)、それに総合評価としての「生活全体」(Qo1+2+3)になる。 このうち「身体的健康」を含めて大半は客観的要素であるが、「活力」や「気分」、「楽しむこと

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ができる」は主観的要素である。「自己全体」は主観面と客観面の両方を含んでいる。この「自 己全体」や「生活状況」は包括的で漠然としている一方で、他の要素と部分的に重複している。 この尺度の場合、指標は身体レベルを超えて広く日常生活にまで及んでおり、また、検証による その信頼性や妥当性も高いとされる。しかし、この評価は現在の臨床医学の文脈で理解された病 像を反映しているにすぎず、むしろこの病像じたいの恣意性が問われざるを得ないだろう。

二つ目は EQ-5D-5L である(14)。指標は「移動の程度(歩き回る)」(Qo1)、「身の回りの管理(身 体洗浄や着脱)」(Qo2)、「ふだんの活動(例として仕事、勉強、家族、余暇活動)」(L2)、「痛み/不快感」(Qs1)、「不安/ふさぎ込み」(Qs2)である。「移動(基本的日常動作 ADL)」と「身の回 りの管理(道具的 ADL)」は別レベルであるが並列されている。「痛み」と「不安」も同様であ り、そもそも何に対する「不安」なのかは特定されていない。「ふだんの活動」は「生活」L2に関連しているものの、その内容はやはり包括的で漠然としている。この尺度の場合、指標が比 較的に少ない点は簡便さという面で有利ではあろうが、その反面、人間の生の多くの要素がそこ から捨象されることになる。加えて、指標の選択の恣意性や指標が少ないがゆえのバイアスの増 幅可能性もある。

三つ目は WHOQOL26 である(15)。指標は大きく「身体領域」、「心理領域」、「社会関係」、「環 境」の四領域に分かれ、これに「全体総合」が加わる。それぞれの領域はさらに細分されて計26 になる。順に見ていこう。「身体領域」(Qo1)では「日常生活動作」、「医薬品と医療への依存」、 「活力と疲労」、「移動能力」、「痛みと不快」(Qs1)、「睡眠と休養」、「仕事の能力」が挙げられる。 「心理領域」(Qs1+2+3)では「ボディ・イメージ」、「否定的感情」、「肯定的感情」、「自己評価」、 「精神性/宗教/信条」である。「社会関係」(Qo2)では「人間関係」、「社会支援」、「性的活動」が 挙げられる。「環境」(Qo2)には「金銭」、「自由や安全と治安」、「健康と社会的ケア」、「居住環境」、 「新しい情報と技術の獲得機会」、「余暇活動への参加と機会」、「生活圏の環境」、「交通手段」が 属する。そして「全体総合」には「生活の質の自己評価」(Qo2+Qs2)と「健康状態の満足度」(Qs1)が含まれる。この尺度は、WHO が全世界 15 センターの協力の下、周到な準備段階を経て完成 させた WHOQOL100 の簡略版である。指標は他の尺度に比べると網羅的であり、そこには客観 的要素と主観的要素がともに含まれている。しかし、領域の選定が部分的に「健康の定義」に基 づいているとはいえ、領域間の関係も各細目の必然性も判然としない。例えば「社会領域」の三 項目がそうである。また「心理領域」では「ボディ・イメージ」から「精神性/信条/宗教」まで がレベルの区別なく並んでいる(ちなみに、この「精神性」は当初は別扱いであったが、検証を 受けて一緒にされている)。

以上を要するに、前節で提示した QOL の概念枠組みに照らす限り、部分的であれ網羅的であ れ、いずれの尺度の指標も混然としており、経験的一般化の水準に止まっていることが分かる。 それにしても経験的一般化の水準を超えられないのはなぜか。筆者らはその理由を、「生存/生活/人生」というレベル分けの視点が欠けていることに加え、とりわけ「生」の中心に位置する 「生活」が構造的(つまり連関的)に把握されていないからだと考える。注(5)で説明したよ うに、生活の「構造」が把握されない限り、指標の必然性を説明したり、その網羅性を標榜した りすることも、さらに客観的要素と主観的要素とを連関づけたり、主観的評価と客観的評価(測 定)を対応させたりすることもできない。

3. ニーズ論と活動(機能)論 生活すなわち人間的活動の全面的な把握を標榜しているのは、心理学分野の「ニーズ」論と哲学分野の「活動(機能)」論である。この両者がはたしてどこまで「構造」に接近しているの か、以下で検討してみたい。

「ニーズ(needs)」とはたんなる個人的な欲求(want)ではなく、人類普遍的な要求または 必要を指している(16)。日本の医療関係者のあいだで有名なニーズ論として、マズローの「五段 階」説とキットウッドの「五枚の花びら」説がある。後者については別論文ですでに論じている ため(17)、ここではマズローの説を取り上げる。

マズローの言う五段階の内訳は、「生理的ニード」(L1)、「安全ニード」(L1+L2)、「社会的(愛 と帰属)ニード」(L2)、「尊重(承認)ニード」(L2)、「自己実現ニード」(L2+L3)である(18)。こ の説の特徴は下位ニードが充足されてはじめて上位ニードに進むという階段式の捉え方である。 なお、マズローは後に高齢期を考慮して六段階目の「自己超越ニード」(L3)を設定している。こ れについても別に論じているためここでは言及しない(19)。さて、批評に移ろう。QOL の概念枠 組みに照らすならば、単一階段という捉え方そのものが疑問である。「生理的ニード」(L1)とそ れ以外のニード (L2)は一直線上にはない。そもそもレベルが異なっており、両者はパラレルに 進行するはずである。また、「社会的(愛と帰属)ニード」や「尊重(承認)ニード」に関して は、利害対立を前提にした交渉コミュニケーションと親密な一体化をめざす共同コミュニケーシ ョンとが区別されておらず、境界が曖昧である。さらに、「自己実現ニード」を最上段に置くと ころには特定の文明や時代の見方が反映されている。そして何よりも、そもそもなぜ「五」にな るかの合理的な説明がない(ちなみに、この点はキットウッドの「五枚の花びら」説でも同様で ある)。

他方、哲学における活動(機能)論としてはハンナ・アーレントとマーサ・ヌスバウムの説が 日本でも有名である。そのうちアーレントの場合、『人間の条件』(ドイツ語原題は「活動的生活」) の中で「労働(labor)」、「制作(work)」、「行為(action)」が抽出され、また後年の『精神的生 活』では「思考(thinking)」と「意志(will)」が論じられている。これらはたしかに生活(L2)の諸側面であるが、体系的したがって構造的に連関づけられてはいない(20)。そこでより詳細に 論じているヌスバウムの説を取り上げる。

ヌスバウムは、厚生経済学者のアマルティア・センから「人間の機能(活動)可能態(capability)」 の観点を引き継ぎ、人類の文化横断的な経験をふまえて次の 10 項目を列挙する(21)。すなわち、 「生命(寿命)」(L1)、「身体の健康」(L1)、「身体の不可侵性」(可動、境界)」(L1)、「感覚•想 像力•思考力」(L1+L2)、「感情(愛情)」(L2)、「実践理性」(L2)、「連帯(A 他者との共同関係、B 他者と同等の尊厳)」(L2)、「自然との共生」(L2)、「遊び」(L2)、「環境のコントロール(A 政 治的には政治選択への参加、B 物質的には財産の維持)」L2Qo2 である。ヌスバウムが抽出した 項目は人間的な活動の諸側面としては過不足ないように見える。しかし、QOL の概念枠組みに 照らしてみれば、人の動物性を包含する生存レベルから人間的な生活レベルまで、本質的な特徴 が区別なく並べられているだけともいえる。アーレントと同様にヌスバウムの説においても「構 造」を窺わせるものはない。

以上の検討から浮き彫りにされるのは、心理学はもちろん、とりわけ哲学においてすら、人間 の生の把握が経験的一般化の水準を超えていないことである。QOL の概念枠組みの中軸は「生 活」であり、その実質は「人間的な活動」である。問題はこの人間的な活動が「構造」的に把握 されているか否かである。繰り返していえば、生活の「構造」が組み込まれていない限り、QOLの形式的な枠組みには実質がともなわず、客観的な Qo と主観的な Qs が連関づけられない。経 験的一般化の水準を超えて生の構造を全面的に把握するには新たな視点が必要とされる。それが 次節以下で展開される<意味コミュニケーション>の視点である。

4. 意味コミュニケーション

「コミュニケーション」とは人間の行為のつながり(行為連関)であるが、この核心には意味のつながり(意味連関)がある。この意味連関を大別するとコミュニケーションは二つの型 になる。一つは発信側の情報が受信側にそのまま受けとられることをめざす情報伝達型であり、 もう一つは情報の意味づけが受信側の解釈に委ねられる意味解釈型である。日常的な会話(コ ミュニケーション)は後者であり、それが機能的に限定されると前者に転化する。人間のコミ ュニケーションの原形が意味解釈型であるとすれば、この型に則してコミュニケーションの本 質が捉えられなければならない(以下は森下直貴編『生命と科学技術の倫理学』(丸善出版、2016) の序章において詳述されている)。

「意味解釈」では同一の情報(表現)が文脈と受け手の違いによって多義的に意味づけられ る。その際、表現とその意味との関係は必然的ではなく、いつでも「別様でありえた」という 偶発性に伴われている。例えば、誰かの「手が上がっている」のを見たとする。まず、それが 「手を上げる」という意図的な動作であるかが決定されなければならない。そして意図的だと みなされた場合、それが反対意見の表明であるか、タクシーを呼び止めるためか、柔軟体操を しているのか、挨拶のつもりなのかは文脈に応じて違ってくる。さらに解釈が一つに絞られた場合、それに対する評価も様々であり、ましてやそれを受けた応答となると無尽蔵のバリエー ションがあろう。

意味解釈型コミュニケーションの中では受け手となる双方の側によって<意味>が交互に解 釈される。この型が人間のコミュニケーションの原形であるならば、「コミュニケーション」を <意味解釈の相互連関>として定義できる。9.1 で後述するように人間のコミュニケーションで は身体表現から離れた記号コミュニケーションだけでなく、身体表現を用いた「情動コミュニ ケーション」も劣らず重要である。以下では両者を含めて<意味コミュニケーション>と表記 する。なお、本稿ではここまで QOL の概念枠組みの中心にある「生活」を人間的な「活動」と みなしてきたが、ここに至って「活動」の本質が<意味コミュニケーション>として捉え直さ れる。したがって、自己内部の対話(自問自答)といえども、いかに秘匿されていようと、意 味を通じて他者とコミュニケーション循環に組み込まれる限り、意味コミュニケーションとい える。

意味コミュニケーションの基本形は対面的コミュニケーションである。対面的コミュニケー ションではこれに関わる双方の側の内部コミュニケーションが交流し接続する。生活すなわち 人間的な活動の構造を把握するためには、この対面的コミュニケーションの内部で鏡合わせの ように進行する意味解釈のプロセスを解明しなければならない。

まず、出発点は双方ともに「相手の心が読めない」という状況である(そもそも心が読める のであればコミュニケーションするまでもなかろう)。解釈の手がかりは表出された言動や表情 である。これらの表現(一般には記号)を通じて相手の真意(意図)が探られる。探り合いの 中から次第に双方の応答の形が浮かび上がり、これを織り込むことで予期や期待が生じる。そ してついに、応答の繰り返しの中から共通の解釈パターン(型)が成立する。この共通パター ンを前提にしたとき、コミュニケーションは不断に偶発性を抱え込みながらも滞りなく進行す る。ただし、共通のパターンつまりは「コモンセンス(常識)」が成立した場合でも、その受け 止め方が双方の側で完全に一致するという保証はない。ここに個別性(私秘性)の根拠がある。 とするなら、常識とは見かけ上の一致あるいは一致の見せかけということになろう。

具体例として「この部屋、なんだか暑いね」という発話をとりあげる。第一段階は「情報認 知」(A)である。発話の文字通りの認知や相手の表情の知覚から「暑がっている」様子に見え る。第二段階は「心情解釈」(B)である。発話が意図を伴ってこちらに向けられたメッセージ だとして、その意図は何か、なぜいまここでそんなことを言うかが忖度される。「本当に暑いの か、話のきっかけ(時候の挨拶)にすぎないのか、温暖化問題を論じたいための誘い水なのか」 といった具合である。第三段階は「解釈比較」(C)である。ここでは文脈や過去の事例や一般 常識が総動員され、「本当に暑くて何とかして欲しいと思っている」という暫定的な解釈が比較 検討される。その結果、「本当に暑いと感じているようだ。この場面で私が相手の立場だったら同じように切り出すにちがいない」。第四段階は「総合評価」(D)である。「今日の暑さでは誰 だって暑いと感じるはずだし、彼の発言は真実だ」。これに続く段階は相手に対する応答の選択 とその遂行(E)である。「冷房のスイッチを入れようか、窓を開けようか、それとも冷たい飲 み物でも提供しようか…」。E は引き続くプロセスにおいて相手によって A として受け止められ る(…→A→B→C→D…→E/A→…)。

5. 世界構造としての<四機能連関>

続いて、上述の意味解釈の内部プロセスにおける論理(筋道)を浮かび上がらせてみよう。

<意味>の前提には<区分>がある。視覚を例にとれば、見えているもの(例えば一個の柿) は、見えているままに実在しているのではない。より精確に描くなら、見えていない側との区 分を背後に隠しつつ見えている。「見
える側/見えない側」という区分を形成し維持しているのは輪郭づける 視線である。この区分は「柿/みか ん」の差異とちがって根本的な差異 であるが、残念ながら本稿では区分 をめぐる哲学的考察に立ち入る余裕 はないため、別稿(22)を参照いただく ことにして先へ進もう。

意味解釈の内部プロセスにおける最初の段階、すなわち認知情報(A「暑がっている様子」) にも隠された区分がある。ここでの区
分づける働きを<対外的機能>としよ
う。情報 A は相手側の発話の内的意図

(B「窓を開けて欲しいのかな」)を指
し示すが、この B の背後にあるのは<
対内的機能>である。続いて意味解釈
のプロセスは比較(C「温暖化の議論
でも吹きかけるつもりか」)の段階に移
る。ここでは類似した状況や他者一般
が比較の対照とされる。したがってこの C の背後で働いているのは<対他的機能>である。最 後に、比較の吟味を受けた解釈から総合評価(D「こんな日は誰だって暑いにちがいない」)に 至る。D は自己評価を再帰的に組み込んだ<対自的機能>を背後に隠しもつ。

要するに、対面的コミュニケーションにおける意味解釈の内部プロセスは意味づけ(区分づ

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9

け)のプロセスであり、これを構成する四段階のあいだに二重の意味連関が存在する。その一 つは<外面→内面>の連関であり、これに該当するのは A→B と C→D である。もう一つは直接 的な直観レベルから間接的な反省レベルへの<一階→二階>の連関であり、これには A→C と B→D が該当する。実際の意味解釈のプロセスでは、A→B という<外面→内面>連関が、C→Dという<外面→内面>連関へと転換される。以上のプロセスを区分づける機能の視点からまと めるなら、A 対外的機能から B 対内的機能への連関が、C 対他的機能から D 対自的機能への連

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関へと転換されていると言える( ⇒ )。

コミュニケーションは二重の意味連関(二軸四区分)を織り込みながら循環しつつ動的に変 容する。この三次元プロセスを二次元の平面上に変換できたなら、その平面図を用いて意味コ ミュニケーション世界を直観的に把握することが可能になろう。この一連の操作については図 2abc を見ていただきたい。ここに浮か

び上がるのが<四機能図式>である。 これは任意の 2×2 マトリックスでは なく、意味コミュニケーション世界の 機能パターン(構造)の図式である。 筆者らは、この機能図式を適用するこ とによって、意味世界の多種多様な事 象が構造的に捉えられると考えている。 この予見が妥当なものであるかを以下 の諸節で確認してみよう。

6. コミュニケーション分化の論理 ここまで論じてきたのは対面的コミュニケーションの基本形である。実際にはそこに関わる

人物や状況の違いに応じて基本形は様々に分化し、種々のコミュニケーションが日々繰り広げ られることになる。そこで意味コミュニケーション群の分化を<四機能図式>に基づいて論理 的に捉えてみよう。この分化の論理はコミュニケーション群だけでなく、これを媒介にするこ とで、コミュニケーションを構成する個人の活動から全体社会の領域別システムに至るまで、 意味世界のすべてを貫いている。この分化の論理こそは本稿の基軸である(なお、論理へのア プローチは『生命と科学技術の倫理学』序章より進化している)。

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A→B

C→D

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対面的コミュニケーションにおいてつながり合う個人の内部コミュニケーションは、四区分 の連関に沿って次の四次元をもつ。すなわち、A 対外的な<行動>次元、B 対内的な<心情>次 元、C 対他的な<関係>次元、D 対自的な<内省>次元である。個人の<活動>はこれら四次 元セットをもつ内部コミュニケーションの表現である。そして様々な状況の中で四次元セット のうちの一次元が突出し、相互に

重なり合う中で対面的コミュニケ ーションが分化する。この次第は図3を見ていただきたい。

そこに立ち現われるのは次の四
群のコミュニケーションである。
すなわち、A<行動対行動>コミュ
ニケーション群、B<心情対心情>
コミュニケーション群、C<関係対
関係>コミュニケーション群、D<内省対内省>コミュニケーション群である。志向する価値に関連させれば、それぞれ、A 実用 性をめざす<ものづくり>群、B共同性をめざす<ひとづくり>群、C統合性をめざす<しくみ づくり>群、D 超越性をめざす<こころづくり>群になる。図 4 を見ていただきたい。

具体例を示そう。最初の A<行
動対行動>コミュニケーション群
には、衣食住の暮らしの繰り返し、
作業から作業への連続、手段の工
夫の重ね合い、交換の循環が含ま
れる。これらはすべて生存のため
に事物を操作し利用する実用性に
関連している。次の B<心情対心
情>コミュニケーション群の例は、
三世代にまたがる世話、病気・怪 我の癒し、未熟な状態の発達、困窮者への援助である。これらはすべて親密な結びつきや連帯 を求める共同性に関連している。三つ目の C <関係対関係>コミュニケーション群に含まれる のは、交渉の中での話し合い、和平調停の受け入れ、集合的な決定への忠誠、決まりの順守で ある。これらはすべて利害対立を調整する統合性に関連する(23)。最後の D<内省対内省>コミ ュニケーション群では、楽しみ、感動、疑問、畏怖や感謝が次々とつながる。これらはすべて 現実世界から想像的または理念的に距離をとる超越性に関連する。

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以上の四群のコミュニケーションから種々の機能が自立し、それぞれが分立することを通じ て、全体社会(広義の社会)における領域別システムが形成される。これも四機能図式に従っ て四領域になる。すなわち、A 実用性に関連する広義の経済領域、B 共同性に関連する狭義の社 会(共同体)領域、C 統合性の価値に関連する公共領域、D 超越性の価値に関連する文化領域 である。これらは<四機能図式>に従って細分(a, b, c, d)され、16分野になる。図5を見て いただきたい。

まず、A 広義の経済領域では、d
狭義の生活(様式)のほか、a 労
働(組織されると産業)、b 技術(組
織されるとテクノロジー)、c 市場
といった機能システム分野が相互
に連関する。次に、B 狭義の社会
(共同体)領域を構成するのは、c
育児・介護、b 医療、d 教育、a 福
祉の機能システム分野である。さ
らに、C 公共領域において連関するのは、b 社交・世論、d 法、c 政治、a 行政といった機能シ ステム分野である。最後に、a 遊び・娯楽・趣味、c 科学研究、b 芸術・スポーツ、d 宗教や哲 学といった機能システム分野から構成されるのが D 文化領域である。これらの四領域は<四機 能図式>に従って相互に連関し合い、全体社会(広義)を成り立たせている。

以上のように、個人の活動次元、コミュニケーション群、全体社会のシステム領域のいずれ であれ、同一の四区分構造が同型的(フラクタル)に繰り返されている。これが体系的である ことの証左である。もちろん四区分の細部は経験のうちに求めざるをえないから、そこには完 全というものはない。しかし、たとえどんなに不完全な構築物であろうと、改良の余地があっ て次の改良につなげられる(これがコミュニケーションである!)限り、経験的な一般化や固 定した見方の批判に終始するより、その分だけ一歩前進していると言えよう。

7. 個人の幸せ意識の再構成 意味コミュニケーションの四群連関を媒介の位置におくことによって、個人の活動の四次元

と全体社会のシステム四領域とが同一平面上で対応することになる。これを図式化すると、図 6になる。この図に表現されているのは、心理学のニード論や哲学の活動論では捉えられなかっ た人間の生活(L2)の構造そのものである。この「生活構造」を共通の土台に据えることによ って、L2 の客観的な Qo2 と主観的な Qs2 とは初めて体系的に連関づけられる。以下、幸福心 理学と幸福経済学を検討する中で両者の連関づけを確認してみよう。

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まずは人の主観的幸福感を研究す
る幸福心理学である。この研究は最
初に高齢者の適応状況から始まり、
後に高齢者を超えて一般化された。
その中で、幸福度尺度(「あなたは幸
せですか」)、生活満足度尺度(「収入
に満足してますか」)、人生満足度尺
度、感情的幸福(「肯定的感情・否定
的感情」)等、測定時間の異なる様々 な尺度が開発されている。当該分野の研究者の一人、前野隆司は世界各国の研究を調べた結果、 幸福に影響する要因を四八項目にまとめている(前野隆司『「幸せ」のメカニズム』講談社現代 新書、2013、249-255 頁)。そこでは主観的要素も客観的要素も混在しているが、幸福心理学で は客観的要素は方法論的に排除されている。以下、L2 レベルの尺度の代表として前野の「幸せ 四因子」説を検討する。

幸せの「四因子」の選定において用いられたのは辞書とアンケートとコンピュータである。 そこから客観的要素を除いた二六項目が次の四群にまとめられた。すなわち、「やってみよう」 群、「なんとかなる」群、「ありがとう」群、「あなたらしく」群である。前野は各因子群の代表 項目を 4 つずつ挙げている。まず「やってみよう」群では「コンピテンス(有能さ)」、「個人的 成長」、「社会的要請」、「自己実現」である。次の「なんとかなる」群では「楽観性」、「気持ち の切り替え」、「積極的な他者関係」、

「自己受容」になる。さらに「あり がとう」群では「人を喜ばせる」、「愛 情を感じる」、「親切」、「感謝」とな る。最後の「あなたらしく」群では 「最大効果の追求(あれこれ目移り せず一貫している)」、「制約のない知 覚(周囲のせいにしない)」、「他者と の比較」、「自己概念の明確さ」であ る。

前野の四因子説は表面的には<四機能図式>に驚くほど合致している。この点はじつに興味 深いが、ネーミングが曖昧であるためか、四因子の相互連関や各細目の必然性が判然としない。 その点では遠近の基準だけで分類するコンピュータとそれほど変わらない。そこで前野の四因 子説を<四機能図式>に基づいて再構成してみよう。

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そもそも幸せ感(意識)とは日々の生活(つまり人間的活動)に伴う複合的な満足感であり、 これもまた個人の活動次元に沿って四つの次元に括られる。すなわち、行動次元の<目標達成 >感、心情次元の<安心充実>感、関係次元の<承認自尊>感、内省次元の<理想向上>感で ある。図 7 を見ていただきたい。この四次元セットの満足感がコミュニケーション群に伴う。

続いて各因子群をコミュニケーション群に対応させるならば、「やってみよう」は<ものづく り>群に、「ありがとう」は<ひとづ
くり>群に、「なんとかなる」は<し
くみづくり>群に、そして「あなた

らしく」は<こころづくり>群に割 り振られ、細目も適宜修正される。 ここに満足感を重ねることで幸せ意 識の構造が浮かび上がる。図8を見 られたい。ここでは四群の各項目も また構造的に配置されている。構造 をもたない四因子説との違いは一目 瞭然であろう。

繰り返していえば、あくまで満足感は四次元セットであり、コミュニケーション活動を通じ て客観的な機能システム領域と関連している。つまり、客観的世界におけるコミュニケーショ ン活動に伴う満足感なのである。したがって、客観的な関連づけが不明瞭であれば、満足感(幸 せ意識)は志向対象を欠いた心理状態の自己評価にすぎなくなる。そこに反映しているのは評 価する本人の「性格」にほかならない。

8. 国民の幸福の再構成 続いて幸福経済学に目を転じよう。この分野では幸福に影響を及ぼす客観的要素に対する主

観的評価と客観的評価が研究される。例年、世界各国の豊かさ(幸福)ランキングが発表され ている。例えば、有名な尺度の一つとして国連開発計画の「人間開発指標」があり、これは「国 内総生産(GDP)」、「教育」、「平均寿命」の三つの客観的指標からなる(前野:51 頁)。また、「持 続可能な開発ソリューションネットワーク」の「世界幸福度レポート」(World happiness report) もある(Web)。この尺度では客観的指標に混じって「感情的幸福」の項目(Dystopia)もあるも のの、その名称も中身も部外者には少々意味不明である(2016:16−18 頁)。そこでより詳しく 検討するために以下の四つの尺度をとりあげたい。

まずは『新国民生活指標(豊かさ指標)』(略して『新国民』)である(平成 10 年度版、経済 企画庁国民生活局)。これは「ひとの活動領域」と「生活評価軸」の二部門に分かれる。前者は

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さらに「住む」、「費やす」、「働く」、「育てる」、「癒す」、「遊ぶ」、「学ぶ」、「交わる」の八項目 に分かれ、後者は「安全・安心」、「公正」、「自由」、「快適」の四項目からなる。以上の構成を <生活構造図式>に照らして検討してみよう。「ひとの活動領域」は概ねコミュニケーション群 に対応する。しかし、なぜ 8 項目かの説明はない。例えば「交わる」は<ひとづくり>(B)だけ でなく、<しくみづくり>(C)にも関係している。他方、「生活評価軸」はコミュニケーション群 から機能システム領域までを貫く「価値」に関連した主観的評価である。すなわち、「安全・安 心」は「共同性」(B)、「公正」は「統合性」(C)、「自由」は「超越性」(D)、「快適」は「実用性」(A)のそれぞれ一部に対応している。しかし、活動領域の八項目と生活評価の四項目とが関連づ けられていない。結局、この『新国民』はコミュニケーション群に対して(客観的価値に関連 する)主観的評価を試みたものとして興味深く、また使用されている用語にもセンスを感じる が、生活に構造の視点が組み込まれていないため体系的でない点が惜しまれる。

次は『全国 47 都道府県幸福度ランキング 2016 年度版』(略して『全国』)である(寺島実郎 監修、日本総研編、東洋経済新社、2016)。上記の『新国民』に基づく調査は県民比較を嫌う声 を受け、1999 年以降中止された。それに代わって民間のシンクタンク(日本総研)によってま とめられたのがこの『全国』である。ここでは客観的指標が細かく抽出されて計六〇に及ぶ。 指標群は大きく二分される。一つは「基本的指標」であり、ここには「人口増加率」、「一人当 たりの県民所得」、「財政健全度」、「戦況投票率(国政)」、「食料自給率」が含まれる。もう一つ が主要「5 指標」であり、それらにはそれぞれ二分野が含まれる。すなわち、「健康(医療・福 祉および運動・体力)」(B)、「文化(余暇・娯楽および国際交流)」(D)、「仕事(雇用および企業)」(A)、「教育(学校および社会)」(B)、「生活(個人および地域)」(A+B)である。残念なことに、 この『全国』には客観的指標に対する客観的評価しかなく、主観的評価が組み込まれていない (13 頁、2 頁)。この点では『新国民』から後退している。

今度は有名なブータンの国民幸福度尺度(GHP)をとりあげよう(Web)。これは次の九項目 からなる(なお、細目の設定は地域性や国情に合わせて任意である)。すなわち「心理的幸福(例 えばストレス、利己心との均衡)(B)、「精神(信仰)」(D)、「環境の多様性(川・土地の名称、 汚染、植林など)」(B)、「健康」(B)、「教育(識字率、歴史、民話)」(B)、「文化(方言、伝統的 スポーツ、祭り、職人、躾、道徳)」(B+D)、「生活水準」(A)、「時間利用(労働、睡眠)」(A)、 「コミュニティ活性」(B)、「統治(自由度、メディア、政策実行力)」(C)である。この尺度では、 「心理的幸福」は主観的指標であり、それ以外はすべて客観的指標である。「統治」指標は他の 三つの尺度には見られない特徴である。この尺度の背後には明確な哲学があり、GDP 中心主義 を批判して精神的価値との調和を主張する意気込みはたしかに伝わる(ブータン政府観光局公 式サイト)。しかし、指標の必然性や指標間の関連性が見えないため、体系性の点では中途半端 と言わざるをえない。

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最後は「国民生活選好度調査」である(内閣府、2008−2010)。指標として挙げられるのは、 「健康状態」、「家族関係」、「家計状況」、「所得」、「消費」、「自由な時間・充実した余暇」、「就 業状況・仕事の有無」、「安定」、「友人関係」、「仕事・趣味・社会貢献などの生きがい」、「職場 の人間関係」、「地域コミュニティとの関係」、「その他」である。この尺度では、「健康状態」(L1) と「生きがい」(L2+3)だけが主観的要素であり、それ以外は客観的要素である。<生活構造> の図式と照合するなら、「家族関係」と「友人関係」と「地域コミュニティとの関係」は B 狭義 の社会(共同体)領域に、「自由時間・充実した余暇」は D 文化領域に、「家計」や「所得」、「消 費」、「就業」、「安定」は A 広義の経済領域にほぼ対応する。しかし、ブータンの GHP 指標に はあった「公共領域」がない。取り上げられた指標はたしかに網羅的であるが、ここでも指標 間の内的関連性がない。

以上で検討した四つの生活満足度
尺度は総じて経験的一般化の水準に
止まっているが、筆者らの見解では、
それは生活の「構造」が組み込まれ
ていないからである。この点を考慮
して幸せ意識とシステム領域(客観
的指標)とを対応させてみたのが図
9 である。ここでも指標が四群に分
かれ、各細目は一六になる。すなわ
ち、A<ものづくり>コミュニケーション群では d「生活の安定」、a「職業(有無、正規不正規)」、b「利便性や安全性」、c「社会に対する信頼」になる。また、B<ひとづくり>コミュニケーシ ョン群では c「子育て・介護」、b「健康の安心」、a「住宅・環境の安心」、d「教育の機会」にな る。さらに、C<しくみづくり>コミュニケーション群では b「表現の自由」、d「制度の改革」、c「意見の反映」、a「情報公開」になる。最後の D<こころづくり>コミュニケーション群にはa「自由時間」、b「創造的表現」、c「知的探求」、d「意味への問い」が含まれる。以上の客観的 な指標群に四択(主観的評価)を設定した尺度は、質問事項を適当に変更すれば個人にも国民 にも適用できるだろう。

9. 人間の<生>の全体構造 本稿はここまで<四機能連関>に依拠しながら、生の中心にある「生活」レベルの「構造」

を直観的に把握し、この「構造図式」を土台にして客観的な Qo と主観的な Qs とを連関づけて きた。人間の生にはもちろん生活レベルの他に生存レベルや人生レベルがあり、これら三レベ ルが連関して生の全体を成り立たせている。以下ではその全体としての生の構造の把握に努め

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てみたい。

9.1 生存の構造 「生活」が人の人間的な活動の全体であるのに対し、「生存」は人の生物としての行動の総体

である。これを構造的に把握するためには、個々の欲求やニードの手前にある動物的な欲動を 考慮する必要がある。そして欲動を論じるならフロイトの学説との対決は避けられない。周知 のようにフロイトは欲動を生(自我)欲動と性欲動に分けたが、後にその二大欲動をエロス(性 =生)とタナトス(死)の対置へと転換させた。この転換プロセスについては別著書の中で詳 細に跡づけているため(24)、ここでは批判部分だけに言及する。

欲動の中軸は自己回復の欲動である。これは平衡状態をたえず回復しようとする動的プロセ スであり、健康感覚の生物的な基盤である(25)。ところが、フロイトの欲動論には生命システム に根ざした自己回復の欲動が欠落している(少なくともそこには彼の関心はない)。つまり性や 死はあっても健康がない。そこでフロイトを超えて欲動世界を改めて再構成する必要がある。 筆者らの考えでは、欲動世界は<自己回復>を中心にして A<個体保存>、B<親的庇護>、C<性的独占>、D<現実遊離>の四次元から構成される。ただし、意味以前の欲動世界では意味 世界の四区分がそのまま成り立つわけで

はない(そのため破線を用いる)。 欲動世界に深く根ざしている生物的な 行動、したがって生存レベルで行われる コミュニケーションは、身体から離れた <象徴コミュニケーション>ではなく、 身体に密着した<情動コミュニケーショ ン>である。この両者は人間的な活動(生 活レベル)では混然一体となって進行す るが、対面的な場面において影響力がは

るかに強いのは、周知のように情動コミュニケーションの方である。その点をふまえて「生存 構造」を捉えると、A 行動次元では運動と食事ができること、B 心情次元では気分が安定してい ること、C 関係次元では情動的なやりとりができること(性的なふるまいを含む)、そして D 内 省次元では面白いことに笑えること、になる(図 10)。

以上の生存構造の図式を土台にして客観的指標 L1Qo1 と主観的指標 L1Qs1 を対応づけてみ ると、質問項目は以下のようになる。これらを前述した既存の健康関連 QOL と比較していただ きたい。

A:Qo1 身体動作がうまく出来るか/Qs1 身体に痛みや違和感がないか

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また、Qo1 食事をどのくらい食べているか/Qo1 食事を美味しいと感じているかB:Qo1 落ち着いているように見えるか/Qs1 不調や不安を感じているか
C:Qo1 表情で気持ちを伝えられるか/Qs1 表情から気持ちを察知できるか

また、Qo1 性的に活発にふるまうか/Qs1 性的な関心があるか
D:Qo1 物事に集中したり笑ったりしているか/Qs1 毎日楽しいと感じているか

9.2 生活のミニマム 健康の原点は痛みや違和や不調を感じない状態であり、この背後では「生命」レベルの自己

回復の運動が循環している。この原点を<狭義の安らぎ>(安らいだ状態)とすれば、「生存」 レベルの生物行動がめざすのは、先に示した四次元セットからなる<広義の安らぎ>といえる。 これが「生存」の原点である。しかし、「生活」レベルの人間活動の目標は「生存」レベルをは るかに超える。筆者らの考えでは、その目標は<日常生活>そのものに他ならない。人は平凡 で退屈な日常生活が失われたとき、初めて日常の平穏と平和の有り難さや大切さに気づかされ る。この点は末期癌の患者でも、被災者でも、事故や事件の被害者でも変わりない(26)。

それでは一歩進めて、日常生活の原点(基本)とは何か。筆者らの考えでは、それは生存レ ベルの四次元の延長線上に浮かび上がる。すなわち、A「少しでも自分でやれることをして人の 役に立つ」、B「いつでも温かく受け入れ
てくれる場所がある」、C「周囲からぞん

ざいな扱いを受けない」、D「ささやかな 楽しみごとを分かち合える」の四次元で ある。図 11 を見ていただきたい。

これらの四次元はセットであり(これ
を<セット思考>と呼ぶ)、どれか一つが
欠けても日常生活の原点(基本)にはな
らない。言い換えれば、それは生活の< ミニマム>なのである。おそらく、一個の人をこの四次元セットで尊重することが「人間とし て尊重すること」、つまり「尊厳」の核心にあるのだろう。

生活ミニマムの確定は社会制度の根幹に関わっている(27)。日本では現在、多岐にわたる社会 保障をはじめ、年金、納税、手当、労働賃金、住宅保障等の基準設定のさい、事実上の共通基 準とされているのが「生活保護受給基準」である。問題は、「相対的貧困」の線引きを行うその 基準そのものが著しく合理性を欠いていることである。例えば、OECD 基準では全国民の収入 の中央値の半分以下が相対的貧困層とされるが、日本では戦後の社会事情に応じてマーケット バスケット方式など種々の計算方式があり、それらが積み重なって複雑な計算を必要とする。

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そして最終的に、平均収入の 6 割あたり(現在はおおよそ 17 万円)に収まるよう微調整される。 しかし、相対的貧困を抱え込む超高齢社会の本格的な到来に備えるためには、ベーシックイン カム云々の前に、住宅環境を含めて「生活構造」に基づいた議論と対策が必要である。その鍵 を握るのが生活ミニマムの設定なのである。

9.3 人生の構造 最後に、「生活」を包括する「人生」

レベルに目を移そう。人生の構造は
四つの包括的な活動圏から構成され
る。すなわち、A<ものづくり>活
動圏、B<ひとづくり>活動圏、C<
しくみづくり>活動圏、D<こころ
づくり>活動圏である。図 12 を見て
いただきたい。これらの活動圏は<
生活構造>の活動群を同心円状に拡
張したところに位置づけられ、それぞれ A 実用性の価値をめざす広義の経済領域、B 共同性の 価値をめざす狭義の社会領域、C 統合性の価値をめざす公共領域、D 超越性の価値をめざす文 化領域と関連している。

人生 L3 レベルの Qo3 は、各文明・文化の中で培われてきた「理想」、つまり理想的人間像と して解釈できる。試みに(誤解を恐れずに)主要文明の伝統的な「理想」を簡略ながら列挙す る(28)。まず、ギリシア文明の理想はロゴスを駆使する「知者」である。その中で主流の「ソフ ィスト」に対抗したのが「フィロソフィスト」プラトンである。次のアフロ=アジア(セム) 系文明の「理想」は超越神の言葉を授かる「預言者」である。この内部から神との一体化を求 める神秘主義者が登場する。続いてインド文明に目を転じるなら、ここでの「理想」は人間の 動物性を不浄とみなして否定し、ひたすら清浄な聖の境地に到ることを願う「行者」である。 後に現世の汚辱の中で人々を救済する「菩薩」も出現する。最後に、中国文明では有徳な「聖 人」が理想とされるが、これに対抗したのが老荘的「賢者」である。そして日本文化であるが、 ここではインド文明と中国文明から学ぶ中、芭蕉や北斎のように一芸の道を極めた「達人」が 「理想」とされてきた。

今日、日本社会で暮らしている最晩年期の老人の多くは、施設の場合なら完全受動型、自宅 の場合なら自己放棄型に分類できる。そこにはかつての「理想」の面影はない。しかし、超高 齢社会では老人世代の生き方が改めて問題となり、その基軸となる老人モデルが捜し求められ ている。すでに風化して久しいとはいえ、そのとき改めて「理想」が参照点になると考えられ

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る(29)。

人生の構造をふまえ、伝統的な理想に照らし合わせながら自分の人生を反省するとき、幸福 観すなわち全体的な満足感が生じる。7 で指摘したように満足感には四つの次元がある。しかし、 幸せ意識に関しても指摘したように、幸福観が人生の包括的な活動圏と連関しない限り、本人 の性格をたんに反映しただけのものに止まる。その例がディーナーの「人生満足度尺度」であ る(大石:48 頁)。そこでは次の質問が並んでいる。「私の人生はほとんどの面で私の理想に近 い」、「私の人生はとても素晴らしい状態である」、「私は自分の人生に満足している」、「私はこ れまで自分の人生に求める大切なものを得てきた」、「もう一度人生をやり直そうとしてもほと んどなにも変えないだろう」。正直な話、

これらの質問に答えるのは難しい。な ぜならその尺度では「構造」が見えな いからである。

以上ここまで、生活の構造の把握か ら出発して生存から人生へと進み、よ うやくいま人間の生の全体構造にたど り着くことができた。図 1 の QOL の 枠組み(形式)に三レベルの構造を組 み込んで実質化し、これを真上から見下ろすと図 13 になる。

おわりに/人間として尊重するということ 本稿では、意味コミュニケーション世界の四区分連関をふまえ、これを直観化した<四機能

図式>を用いて、生存・生活・人生の三レベルからなる「人間の生」の全体を構造的に把握し てみた。その中軸は<生活構造>である。そして構造全体を QOL の概念枠組みに適用し、枠組 みそのものを実質化した。この枠組みの中で QOL の客観的側面と主観的側面が同一平面上で対 応することになるが、このような対応づけは従来の心理学のニード論や哲学の活動(機能)論 では望めなかった成果である。

今日、老人介護の現場では「尊厳」の理念が謳われつつも、一人ひとりを尊重するという目 標から乖離した現実が生じている。しかし、人間の生の全体を「構造」の視点から捉えるなら、 安易に「問題行動」とされたり、マニュアル的に「疾患」を疑われたりする老人の言動のほと んどすべてが、情動コミュニケーションに根ざした<意味コミュニケーション>の表出として 捉え直されるだろう。例えば「周囲の顰蹙を買う性的ふるまい」は、生物としての多次元的な 欲動によって駆動されつつ人間的な<承認自尊>の満足感を求める、じつに人間的なコミュニ ケーション活動として立ち現れる。この点は適当な変更を加えれば「徘徊」や「孤立」や「自

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慢話」においても当てはまる。結局、<意味コミュニケーション>の視点から一人ひとりの老 人に接することが、大げさな理念を持ち出さなくても、日常生活の中で相手をさりげなく「人 間として尊重すること」にほかならないと言えよう。

今後の課題は、人間の生の構造をさらに具体的に肉付けし、構造図式をいっそう精錬し、現 場で実際に使える QOL 尺度を作成することである。そのためには哲学者がもっと現場に出て行 き、関係者や専門家と交流を深め、共同作業を立ち上げる必要がある。本稿はそのためのささ やかな基礎工事である。

脚注

(1)「介護」という言葉は明治時代の傷痍軍人の世話から始まるが、1970 年台後半からは「障 害者」に用いられ、されに 2000 年の「高齢者介護法」以降は「高齢者(「老人」)に特化さ れる。本稿では「介護」を「「高齢者(老人)介護」に限定して用いる。新村拓『ホスピスと 老人介護の歴史』法政大大学出版局、1982」および岩田直美『社会福祉のトポス』(有斐閣、2016)が参考になる。

(2)介護実務者研修カリキュラムのテキスト第 1 章「人間の尊厳と自立」。 (3)加藤泰史編『尊厳概念のダイナミズム』法政大学出版局、2017。 (4)森下直貴「<老成学>の構想—老人世代の「社会的再関与」によるコミュニティ再生への

展望」(『浜松医科大学紀要(一般教育)』30:1−43、2016)および 同「<垂直のコミュニ ケーション>という希望― 最晩年期における「老の中の死」の意味」(『死生学年報2017』 東洋英和女学院大学死生学研究所、83-102、リトン、2017)

(5)一般的な概念(意味)は見えないが、具体的な形(個別的な事象)は見える。「図式」は 個別の形を包摂するために概念を見えるように直観化したものである。人間の思考にとって 「図」のほうが概念に先行する。その意味で「図式」は根源的であり、人間の判断にとって 必然である。図式の価値は事象のあいだに論理的な連関を想定し、それに従って経験的な寄 せ集めでは捉えきれない要素を発見できることである。ただし、図式は特定の観点に依存し ているためその妥当性がつねに問題にされる。図式の前提にある概念構成が観点依存的であ ることに加え、図式と事象とのあいだには解釈の余地があり、これまた特定の観点によって 埋めざるをえない。他方、「構造」とは変化する事象に内在する諸条件の機能パターン(同一 性)のことである。ただし、同一のパターンも事象のつながりの内部にある偶発性によって 変容を迫られ、不断に変化せざるをえない。この点が静止・深層・不変として通俗的に描か れる「構造主義」の「構造」とは異なる。参考文献にはカント『純粋理性批判』、出原栄一・ 吉田武・渥美浩章著『図の体系』(日科技連、1986 年、126 頁)、N.ルーマン『社会システム 理論』1984 年、邦訳上 1993/下 1995 年、恒星社厚生閣)、A.N.ホワイトヘッド『過程と実在』

21

(平林康之訳、みすず書房、1983 年、序章)がある。 (6)この点については筆者(森下)の HP(システム倫理学)を見られたい。 (7)「ウェルビーイング」、「幸福」、「健康」については森下直貴『健康への欲望と<安らぎ>』

(現代批判の哲学シリーズ 20、青木書店、2003)の序章で論じている。 (8)以上の経緯については前野隆司『幸せのメカニズム』(講談社新書、2013)、大石繁宏『幸 せを科学する』(新曜社、2009)、大竹文雄+白石小百合+筒井義郎『日本の幸福度』(日本評

論社、2010)などを参考にした。 (9)例えば、ジョンセン(1977)『臨床倫理』(赤林朗監訳、医歯薬出版、2009)では QOL が

四分割表の一角を占めている。 (10)この総括レビューについては古谷野亘「社会老年学におけるQOL研究の現状と課題」(J.

Natl. Inst. Public Health, 2004; 53(3): 204-208)および下妻晃二郎「QOL評価の歴史と

展望」(『行動科学研究』21(1):4−7、2015)がある。 (11)社会医学者の森本兼襄氏のご教示による。
(12)『臨床のための QOL 評価ハンドブック』池上直己ほか著、医学書院、2001。 (13)Quality of life in Alzheimer’s disease: patient and caregiver reports.

Logsdon RG, Gibbons LE, McCurry SM, Teri L. J Ment Health Aging.1999;5:21–32.(14)EuroQol–a new facility for the measurement of health-related quality of

life. EuroQol Group, Health Policy. 1990 Dec;16(3):199-208.
(15)WHOQOL Measuring Quality of Life, Division of mental health and prevention

of substance abuse, World Health Organization,1997.(16)欲求・要求・欲動の概念については前出『健康への欲望と<安らぎ>』第 3 章で詳述し

ている。
(17)前出「老成学の構想」論文で論じている。
(18)Maslow, AH, 1986, Toward a Psychology of Being, 2nd ed., D. v. N. Company, NY.(19)前出「<垂直のコミュニケーション>」論文で論じている。 (20)アーレントについては特別研究員の稲垣氏のご教示を得た。 (21)ここでの説明は堂園俊彦「人間の尊厳・福祉・ケア」(『生命倫理』27(1)、2017)に依

拠している。ただし、評価は筆者らの見解である。 (22)区分の哲学的考察については「人はなぜ『四区分』するのか——認識・行為・コミュニケ

ーションの<構造>——」を見られたい。牧野英二他編『知の越境と哲学の変換』(法政大学出

版局)に所収(2019 年 3 月刊行予定)。 (23)「統合性(Integration)」の意味に注意が必要である。例えば、社会学者タルコット・パ

ーソンズの AGIL 図式における統合性(I)は連帯性や共同性を意味するが、私の図式ではむ22

しろ目標達成(G)に近い。
(24)前出『健康への欲望と安らぎ』の第 3 章。また、生命と回復――<規準>としての健康

(『比較思想研究』36:14-23、2010)でも前者の内容が簡潔に要約されている。 (25)森下直貴「健康/病気――滞りなく流れる循環という視点」(『生命倫理の基本概念』(シ

リーズ生命倫理学第 2 巻、丸善出版、2012)第 6 章。 (26)前出『健康への欲望と<安らぎ>』序章。 (27)ここでの説明は岩田正美の『現代の貧困』(ちくま新書、2007)および前出『社会福祉の

トポス』をふまえている。 (28)参考文献の一例として以下を掲げる。佐々木毅『プラトンと政治』(東京大学出版会、1984)、

ハンス・ヨナス(1964)『グノーシスの宗教』(秋山さと子+入江良平訳、人文書院、1986)、 市川裕『ユダヤ教の精神構造』(東京大学出版会、2004)、井筒俊彦『イスラーム文化』(岩 波文庫、1991)、阿部謹也『西洋中世の愛と人格』(朝日新聞社、1992)、R.G.バンダルカル (1982)『ヒンドゥー教』(島岩+池田健太郎訳、せりか書房、1984)、ルイ・デュモン(1980) 『ホモ・ヒエラルキクス』(田中雅一+渡辺公三訳、みすず書房、2001)、白川静『中国の古 代文学(一)(ニ)』(中公文庫、1980+1981)魚住孝至『道を極めるー日本人の心の歴史』(放 送大学教育振興会、2016)。

(29)前出「<垂直のコミュニケーション>という希望」で論じている。

付記

本稿は、生存科学研究所の平成 28-29 年度自主研究、及び、科研費研究基盤(B)ネオ・ジェ ロントロジー課題番号 15KT0005(<老成学>の基盤構築、平成 27〜30 年度、研究代表者:森下 直貴・浜松医科大学教授)の成果の一部である。

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