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未来グローバルな死生観:変容する生の感覚と死の感覚
活動の実績 | 2019.05.30

日中国際研究会議「東アジアの死生学へ」                  中国社会科学院(北京)、 2008.2.17-21

『死生学研究特集号・東アジアの死生学へ』東京大学人文科学大学院、2009.3

<無形のものたち>のリアリティ
――日本人の死生感の<現在>

森下直貴 浜松医科大学教授

 はじめに――三つの視点

この報告のなかで私が描き出そうとするのは、日本社会をいま生きている人びとの死と生をめぐる感じ方、つまり「死生感」である。そのさい、近代化のなかで死生感が「変容」している点に注目し、そのもつ時代的・世代的な意味合いを浮き上がらせたいと考えている。そのうえで未来の世代の死生感の形にも言及したいと思う。考察の全体を導いているのは以下の三つの視点(方法論)である。
一つ目は、「ものの感じ方」の視点である。死生「感」にこだわるのは、反省された形態(死生観)の背後にある「ふつうの人々」の感じ方に焦点を合わせ、これをつうじて特定の社会・時代のうちで共有された「常識」(コモンセンス)に関連させたいからである。死生をめぐるものの感じ方、あるいはそのリアリティ感覚は、個々人に安心感をもたらす究極の拠り所であるとともに、共有された「常識」を根底から支えているものである。
二つ目は、「世代」の視点である。しばしば「日本人の死生観」というように、何かひとまとまりの実体があるかのように語られることが多い。しかし、じっさいには、世代ごとに常識と死生感が異なっているのではなかろうか。ただし、異なりながらも同時に、それらの根底を貫いてある種の感覚もまた連続しているように見える。とすれば、世代ごとの感じ方の違いとともに連続性をも押さえつつ、そのなかに今日登場してきた若い世代の感じ方を位置づけることによって、変容する死生感の現在の様相が浮かび上がることだろう。
三つ目は、モダニティ(近代化)という「時代」の視点である。世代の視点が意味をもつのは、時間・空間の巨大な変質をともなうモダニティの変動が背景にあるからである。とはいえ、「伝統」、「近代」、「現代」、「今日」のあいだの連続と不連続とを捉えつつ、この時代認識を世代と常識に結びつけ、それをさらに死生感につなげていくという作業は、けっして容易なことではない。しかし、そのような試みなしには、おそらく、今後の死生感の行方について展望をもつことはできないだろう。
考察の大まかな見通しはこうなる。日本社会をいま生きている人びとのあいだで、モダニティの三つの段階に対応して、三つの世代ごとに異なる三つの常識が交錯し、これと関連する死生感の三つの形が並存している。ただし、変容する死生感の根底では、異なりを貫いて<ものたちのあいだの平等>という感覚が連続している。しかも、その感覚はおそらく、日本人の「伝統」の底を突き破って人類の原初的な世界経験にまで根を下ろしている。今日の若者世代では、制度と過剰な観念という重たい殻が剥落するなかで、生と死の感覚の境界が薄れ、薄明のなかで一つに融け合うようなリアル感が生まれている。その方向は、ものたちとの原初的な出会いの感覚の露出あるいは新たな形での甦りであるかぎり、未来世界でグローバルな広がりをもつことだろう。
なお、当初の予定では、以上の見通しをふまえて、西田幾多郎と三木清と戸坂潤を取りあげ、彼らの思考が未来のグローバルな「もの」感覚を先取りしている点を明らかにするつもりでいた。しかし、それを試みるだけの紙幅も、また時間の余裕もなかったため、別の論文にまとめることにした(1)。

 一、三つのエピソード

 死と生をめぐる感じ方の<現在>について一定のイメージをつかむために、最初に三つのエピソードをとりあげたい。一つ目は中高年世代を中心にブームを呼んでいる歌「千の風になって」、二つ目は「死んだらどうなるか」というテーマで学生相手におこなった授業アンケート、そして三つ目が国民歌とも評される「世界に一つだけの花」である。
一つ目の「千の風になって」は、驚くべきことに、シングルCD売り上げでミリオンセラーを記録している(新井満日本語作詞・作曲、Mary Frye原作詞)。歌詞はもともとアメリカ人の主婦が友人を慰めるために書き留めたものらしいが、それが今では英語圏の追悼式でしばしば朗読される定番にまでになっているという。しかし、「私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません、眠ってなんかいません。」そう歌い出される歌詞のどこに、(メロディーや歌手の魅力もさることながら)ブームの秘密があるのだろうか。
まず、死に伴いがちなジメジメしたところがなく、全体としてとても爽やかな印象を与える。その爽やかさにおそらく共感の秘密があるのだろう。それと同時に、もう一つ見落とせないのは、「吹きわたる風」、「ふりそそぐ光」、「きらめく雪」、「目覚めさせてくれる鳥」、「見守る星」といった一連のフレーズである。それらはあたかも、個性をもった「人格」と無差別的な「もの」との中間に位置しているかのようである(2)。より高齢の世代や仏教者は「お墓のなかの霊」という見方に慣れ親しんでいて、だから、彼らからその歌に対する違和感が表明されているが(3)、団塊世代を中心にした中高年には、その種の中間性がむしろ好感をもって受け入れられているようである(4)。
続いて、授業アンケートのほうに移ろう。地方の文化芸術系・看護福祉系・医療技術系の三つの大学・専門学校の学生が相手である。「死んだらどうなるか」というそれだけの素っ気ない質問を予告なしに出してみた。寄せられた回答は大まかに三つのタイプに分けられる。第一は、「たんなる物質」、「終わり」といった科学的説明をするタイプ。第二は、「感覚のないもの」、「無」、「死後の世界」、あるいは、「いのちの再生」、「よみがえり」といった観念群を幅広く包含するタイプ。そして第三は、「輪廻」や「天国」などの既成宗教の伝統的な観念をもちだすタイプ。それぞれ、たんなる希望から確信までの濃淡ある様相をともなうが、第二のタイプの素朴な発想が共通して一番多く、全体のほぼ半数を占めていた(5)。ほとんどの学生は、演歌はもちろん、「千の風になって」に対しても冷ややかな反応を示している。しかし、その回答結果からは、意外にも、中高年世代の感じ方とのある種の連続性がうかがえそうである。
その連続性とはどのようなものか。ここで、死というより生の感じ方を示す最後のエピソードをとりあげたい。2007年の大晦日、恒例の紅白歌合戦の最後に、番外編として、出演者全員が会場の聴衆と一緒になって「世界に一つだけの花」を合唱したという(槇原敬之作詞・作曲)。これまたCD200万枚を越えるミリオンセラーの歌であり、「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズを知らない日本人はいないのではないか、と思われるほどである。何がそれほどまでに人びとの心を捉えているのだろうか。公共放送の影響力も無視できないし、「個性」に力点を置きすぎていて嫌だという受けとめ方もある。しかし、素直に見れば、その歌詞から喚起される次のような光景、すなわち、表面上の差別を相対化し吹き飛ばすような<等しいものたち>の世界というイメージではないかと思われる。先に見た死のイメージと合わせるなら、ここに、生者の世界と死者の世界との、生きているものと死んだものとの、ある種の対称性が浮かび上がる。あるいは、同じ一つのものの二つの形と言えるかもしれない。
次節以降では、以上でえられた印象をめぐって考察を加えて行く。手始めに、個人的な印象の裏付けを求めて、一般人にも入手できる二つの客観的な調査結果をとりあげよう。

 二、家族の変容と世代感覚――二つの意識調査

最初に取りあげるのは『データブック現代日本人の宗教――戦後五〇年の宗教意識と宗教行動』(石井研士、新曜社、1997年)である。この本は戦後の統計調査を比較検討しており、学術的な取り扱い方に特徴がある。
注目点を列挙してみよう。まず、日本人の宗教性は曖昧であって、明確な信仰というより、実感に密着し漠然としていること。次に、日本人の宗教意識は一貫してゆるやかな低下傾向を見せていること。さらに、宗教行動の意味が家族の団らん・きずなを強める働きへと変容していること。また、若者の宗教意識は国際比較でももっとも低いグループに属すること。最後に、若者だけでなく日本人全体に関して、自覚的な宗教意識の面では低いが、霊魂や死後の世界では肯定回答が比較的高く、「分からない、何ともいえない」も高率であること。
以上から言えるのは、宗教意識・行動に関して世代間でゆるやかな低下傾向が見られるが、魂や死後の世界の存在をめぐる漠然とした肯定感覚は、世代を超えてほとんど変わっていないことである(6)。とはいえ、戦後のとりわけ一九七〇年代以降、家族関係の面でとくに顕著な変容が起こったというのは、多くの人々の実感である。家族の観念はお墓の形に反射して死者の世界に映し出される。世代間で何が変わり、何がいかなる意味で変わっていないのか、さらに見定める必要がある。
その点を検討するために、次に、世代感覚の違いを重視する『現代日本人の意識構造 [第六版]』(放送文化研究所編、日本放送出版協会、2004年)をとりあげてみよう。その調査は一九七三年から5年ごとに実施され、二〇〇三年で第7回目になる。それらを通覧することで、過去三〇年間、さまざまな側面から一六歳以上の日本人の基本的なものの考え方や価値観の変化を辿ることができる。その意味で重要な調査であり、社会に及ぼす影響力も大きい。詳細は省いて要点だけをまとめる。
 三〇年間の変化量の全体平均でもっとも大きいのは一九七三年から七八年にかけてである。生活の満足感は一九七〇年代に変化して以降はほとんど変わらない。人間関係では部分的な付き合いが増加している。都会と地方の意識差は薄まっている。そして何よりも、もっとも大きく変化したのは「家族・男女関係」であり、とりわけ一九八〇年代には激変していることが浮かび上がる。
 以上の変化は一貫して「近代的価値」の実現に向かっており、そのうち個人化・日常生活重視のへの動きが明白である。ここで「近代的価値観」とは、民主的な政治参加、社会的な制度(「家」)からの解放や男女平等意識、工業化を軸とした能率志向の生き方から構成される。それにもとづいて二つの軸が立てられる。一方の横軸は、伝統的な権威・価値や規範から離脱する動線である。「伝統的な価値」とは、政治の有効性、天皇尊敬、婚前交渉不可、宗教的行事、夫の姓、自民党、父親模範、を当然とみなして肯定する考え方である。他方の縦軸は、未来・他者に傾斜した目標嗜好性から現在・自己に傾斜した遊びと快を求める志向へと向かう動線である。
 座標軸上の分布から六つの世代が細分されている。すなわち、「戦争世代」(1928年以前の生まれ)、「第一戦後世代」(1929〜1943年生まれ)、「団塊世代」(やや広めにとって1944〜1953年生まれ)、「新人類世代」(1954〜1968年生まれ)、「団塊ジュニア世代」(1969〜1983年生まれ)、「新人類ジュニア世代」(1984年以降の生まれ)である。結論として、世代間ギャップはどんどん縮小する方向にあり、「新人類世代」とその「ジュニア世代」のあいだではとくに小さく、日本人全体では伝統離脱・遊び志向への画一化がいっそう進行しているとされる。
以上の解釈に対して二つの疑問が生じる。そしてそのどちらも「個人化=近代化」という枠組みに関わる。その一つは、一九七〇年代以降、とくに一九九〇年代後半以降の若者世代の感覚の細部が十分に捉えられていないという点である。データを見るかぎり、「団塊世代」から一九五八年生まれの世代までと、「団塊ジュニア世代」や「新人類ジュニア世代」とでは、「遊び」志向の面で感じ方がかなり異なっているが、これは実感と合致している。それに関連して、「近代的価値」の枠内にある「個人化」の徹底というより、むしろ、個人の希薄化とか、個としての輪郭・境界の薄れといった(否定的な評価を含んだ)見方も提出されている(7)。これについては改めて次節でとりあげたい。
もう一つは、「個人化=近代化」の裏返しである「伝統的価値」に関して、それはたかだか明治・大正期の産物(あるいは再建)ではないかという点である。それはいわゆる伝統芸能(例えば文楽)でも、小学校唱歌でも同様であろう(8)。「伝統」とはじっさい、一九世紀後半の「近代的=西洋的」なものが浸透して従来の慣習と一つに溶け合った、いわば「伝統的近代」である点についても次節で言及する。
「近代的価値」という枠組みのもとで、家族・男女関係の変容に焦点を合わせたとき、たしかに世代感覚・ものの感じ方の違いが際立ってはくる。しかしそれは、戦前世代と戦後世代とを区切るものではあっても、戦後世代のなかで一九七〇年代生まれ以降の世代感覚を際立たせるものではない。とすれば、そもそも「近代的価値」という枠組みじたいが妥当であるか否かを反省すべきではないか。若い世代の感覚は今後の日本人の死生感のありようを左右する。それをどのように捉え、世代を超えて連続するものがあるならば、これと結びつけるのかという問いかけは避けられないと思われる。次節では、「伝統」、「近代」、「現代」という時代認識にふみこむ(ふみ迷う)ことになるが、「日本人」とひとまとめにできない世代論的な事情に免じて、巨大なテーマに向かう愚を許してもらおう。

三、モダニティの三段階と「常識」

   伝統的近代・現代的近代・今日的近代
 社会学者のアンソニー・ギデンズ(『近代とはいかなる時代か?』而立書房、1995年)によれば、近代社会の以前と以降とを分けるのは、時空の拡大・抽象的システム・再帰性といった推進力であり、また、国民国家と工業資本主義を支柱とする制度群である。近代以前の社会は特定の「場(place)」に貼りついており、親族システムや、公としての地域共同体、死生を司って共同性の紐帯となる宗教的信仰、それに行動の解釈体系としての伝統によって包まれていた。時間・空間(space)が拡大することで抽象的システムが形成され、公共性の次元と親密性の次元とが分離し、グローバルとローカルとが結び直された社会が形成される。「モダニティ」の全般的動向は、とりわけ再帰性の現れである懐疑的精神の徹底という形をとる。そしていわゆる「ポストモダン」や「ポストモダニズム」もその徹底化の一つの表現形にほかならない。
私は、モダニティの全般的動向がつかまれている点で、ギデンズのモダニティ論を高く評価しているが、疑問点もある。それは、ギデンズではモダニティの徹底化を指摘するのみで、その内部の段階の違いが明確になっていないことである。世界史的に見たとき、近代化のうちでも、一九世後半の「西洋的近代」の段階、一九二〇年代前後からの「現代的近代」の段階、そして一九七〇年代とりわけ一九九〇年代後半以降の、グローバリゼーションを背景にした「今日的近代」の段階を区別すべきではなかろうか。例えば、かつて経済学者の村上泰亮は、モダニティの制度群の一つである工業主義を中心にして、一九世紀型システム、二〇世紀型システム、二一世紀型システムの違いを論じたことがある(9)。ここでもその方向で考察を進めてみたい。
まず、「伝統」と「近代」について。尾藤正英(『日本文化の歴史』岩波新書、2000年)は、日本史の時代認識に関して、弥生時代以降の「古代国家」、中世後期以降の「日本的近代国家」、明治以降の「西洋=近代的国家」という三区分を提唱している。そして「日本的近代国家」において「平等・役・行・公(共同的連続性)」という「近代的」なものが形成されたと主張する。ただし、その主張の当否はどうであれ、「日本的近代」という表記は紛らわしいので、「日本的近代=伝統」と表記しておきたい。尾藤によれば、「日本的近代=伝統」は明治の開国以降「西洋化=近代化」によって歪められるが、それでも(多少の崩れの兆候は見せつつ)今日でも持続しているとされる。
ここで尾藤の所説を全面的に論じることはしないが、世界的な視野でモダニティが押さえられていないという欠点は明瞭である。その結果であろうが、「日本的近代=伝統」が今日まで一貫しており、明治以降は表面的にのみ歪められたという認識には疑問がある。例えば、後述する伊藤整によれば(『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫、1953年)、明治から大正時代の中頃まで、坪内逍遥や二葉亭四迷から島崎藤村、白樺派、夏目漱石、森鴎外あたりには、徳川時代までの「伝統的」な要素と西洋仕込みの「近代的」な要素とが溶け込んで、一つになった世間の常識が形成されていた。前節でも言及したことだが、「伝統」とはじっさいには「伝統的近代」を意味する。
次に、「伝統的近代」と「現代的近代」との違いについて。第一次世界大戦がヨーロッパにとって「現代化」へ向けて大きな転機となったことは、とりわけドイツの現代思想の動向のうちに表現されている(例えば、シェーラー、ハイデッガー、ブーバー、ルカーチらの著作)。日本では大正後期とりわけ関東大震災あたりが転機となって、「西洋化=近代化」と「現代化」とが同時に進行する。そして経済不況が深刻化するなかで、「大正維新」とか「昭和維新」という言説が広まり、危機意識が掻き立てられていく(10)。世界的に見ても一九二〇年代の転機は世界同時現象であり、そのまま対立を深めて一九三〇年代後半以降の総力戦へと雪崩的に突入していくのである。当時流行した「近代の超克」言説にいう「近代」とは、「現代」に対立する「西洋的=伝統的近代」であると同時に、「現代」のうちの否定的な現象(貧困や機械文明の非人間性)であった。
「戦後」はどうであろうか。敗戦時の区切り線、つまり、戦前・戦中に対する戦後という図式が重要でないとは言わない。しかし、総力戦体制が戦後の経済成長を支えた枠組みの元にあったと指摘されるように(11)、社会のしくみはもとより、政治意識・社会意識においても、戦前・戦中と戦後とは一種の鏡像の関係にあったと見ることができる(12)。それが変化し始めるのは、先の放送文化研究所の意識調査で明らかなように、一九六〇年代の後半からとくに一九七〇年代であった。そして、一九九〇年代後半になると、IT技術の導入・普及をつうじて、また不況や政策も加わって、企業の組織形態や人びとの仕事ぶりが一変する。
 ここで、「現代的近代」と「今日的近代」との違いをめぐって、一九七〇年生まれの評論家・東浩紀の時代認識(『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』講談社新書、2001年)をとりあげてみたい。東によれば、一九七〇年代以降の社会・文化の変容が「ポストモダン」とよばれ、一八世紀末から一九七〇年代までの「モダン」に対置される。ただし、「ポストモダン」の動きは世界的・グローバルであって、すでに一九一四年に始まっている。それが明瞭になったのが一九七〇年代、顕著になったのが一九九〇年代後半からであるとされる。一般に、誰しも近いものは詳細に、遠いものは粗雑に描くものである。東の認識でもその欠点を免れておらず、「現代的近代」の発端に「今日的近代」がいきなり押し込まれている。逆説的にいえば、「現代的近代」の位置づけが欠落しているところに、一九七〇年代生まれ以降の世代の時代感覚をうかがうことができる。
以上の概述から、近代化のうちに「伝統的近代」、「現代的近代」、「今日的近代」の三段階を区分することは、たしかに強引ではあるが、概念上かならずしも無理でない点が示されたとしよう。そこで、今後はそれぞれ、<伝統的近代>、<現代的近代>、<今日的近代>と表記したい。世代とは、特定の時代に多感な青春期を過ごし、特有の体験を共有した人びとのいだく集合意識である。その特徴としては、第一に、世代に特有な感覚はほとんどそのまま生涯にわたって持続する。第二に、次の世代は前の世代の肩のうえから出発する。1970年代の消費社会の出現は、<現代的近代>の実現でありながら、同時に、それ自身を超える契機すなわち<今日的近代>を含んでいた。そして第三に、いつの時代でも常識(コモンセンス)を変えていくのは若者世代である。今後の社会と文化の動向を左右する彼らの存在を無視して、死生感を論じることはできない。

 常識の構造と変容
それでは、三つの段階の連続性と非連続性をどのように捉えることができるだろうか。これまた大きな問題であるが、死生感に関して世代間のつながりを考えるためには不可欠の論点である。ここで「常識」(コモンセンス)という共通の土台に注目してみよう。「常識」とは、社会的な場において特定の行動を価値づけ決定し導くような「まともな判断」ないしその規準が、社会の大多数の人びとによって日々承認され、拠り所として実践されているとき、そこに立ち現れてくる共通の観念である。その特徴を挙げれば、第一に、固定しておらず社会の変動とともに変容すること、第二に、一定の構造をもつこと、そして第三に、変容してもその根底に比較的変わりにくい部分が残ることである(13)。以上述べた事柄について多少とも具体的なイメージをつかむために、尾藤のいう「日本的近代=伝統」の「常識」、すなわち「等・役・行・公」を素材にしてみよう。そこから次のような三層構造を想定することができる。

上層――社会全体を覆う公の観念(共同体的連続性、無限性、天皇、天下、カミガミ)
中層――人びとのつながり合い・組織紐帯の観念(役の体系、身分、一族・家)
底層――ものたちとの身体的な働き合いの観念(無差別的平等、日常実践としての行)

 日本社会の場合、古代国家が解体・再編されて近世国家が形成される過程で、古代的な氏社会の「常識」が変容し、一定の明瞭な形をもつ家社会の「常識」すなわち「日本的近代=伝統」が形成される。そのさい、以前の構造が土台になり、そこに外来の新たな要素が混ぜ合わされ、溶かし込まれながら、新たな内実をそなえた構造が形成される。同様に、明治の開国以降、近代国家が形成・確立される過程で、土台となる「日本的近代=伝統」に外来の「西洋的近代」の要素が浸透することによって、<伝統的近代>が新たに形成される。
このように、「日本的近代=伝統」から、<伝統的近代>、<現代的近代>、<今日的近代>にいたるまで、常識のそれぞれの層の内容が大きく変容したことは、先の調査結果をふまえるかぎり、間違いないところである。しかし、そうした変容にあっても、底層の根底で息づいている「もの」の感覚はほとんど変わっていないように思われる。それを直感的にいえば、「もの」たちのあいだの無差別的な平等感になる。これは例えば「天台本覚思想」の底流にもうかがうことができようが、ただし、そのあたりの解釈は難しい問題を含んでいる。この点については結論部であらためて言及しよう。ともあれ、そのような「もの」の感覚が死生感にどのように反映しているのか、次節で具体的に確かめてみたい。

 四、死生感の三つの形

 日本社会をいま生きている人びとのあいだでは、モダニティの三つの段階に対応して、三つの世代ごとに異なる三つの形の常識が交錯しており、これと関連して三つの死生感が並存していると考えられる。もちろん「並存」と言っても、退潮しつつ形もあれば、目下前面に出てきている形もあり、これから徐々に勢いを増していく形もある。より古い世代の目にはその並存は「解体」とか「崩壊」として映るだろう。ちなみに、常識と死生感の三つの形の交錯ないし並存という視点に立てば、一九九〇年代に燃え上がった「脳死論議」についてもその時代的な意味合いが浮かび上がるにちがいない。以下、その三つの形を順に見ていく。

  <伝統的近代>における死生感
ここでは、伊藤整『近代日本人の発想の諸形式』(岩波文庫、1953年)と、加藤周一・ライシュ・リフトン『日本人の死生観』上・下(岩波新書、1977年)のとくに終章、加藤による執筆部分をとりあげる。
伊藤によれば、日本人の認識方法の背景には、「東洋的な無の認識」、つまり、宇宙における存在の小ささ・はかなさの自覚がある。その自覚が肯定的な方向にむかった場合の典型が、志賀直哉の意志的・調和的な宇宙観である。志賀のように、無の意識をもち直感的な好悪で判断する生き方は、日本の社会秩序に抵抗感を起こさせない調和的人間観としてもっとも信用され、近代の知識階級にとって健全と考えられた思考型式である。それは仏教・老荘思想が形骸化したのちの無の認識と、進化論以降の自然科学的認識とを結合したものである。これが日本の知識人の「無信仰性」を支えており、そこにいささかの混乱もなかったという。
近代日本の文学者を対象にした伊藤の見方は、<伝統的近代>という時代・世代における死生感の形を鮮やかに裏付けていると言える。さらに、幕末から明治前半に活躍した福沢諭吉もまた、<伝統的近代>の先駆として位置づけられるだろう。伊藤によれば、福沢は実践的にはきわめて論理の人であったが、究極的には同様に「無の平安」を心の拠り所にしていた(14)。
他方、加藤もまた、近代日本人のうちに、伊藤のいう「東洋的無の認識」や「宇宙観」と同様の感じ方を読みとっている。加藤によれば、近代日本人の死に対する態度は、生に対する態度すなわち「集団志向性を中心とする現世主義」を反映している。それが徳川時代の世俗的な文化から受け継がれ、今でも大多数の日本人の行動の一般的な準拠枠組みになっている。したがって、死に対する態度は、徳川時代以来ほとんど変わることなく農村に残り、都会の住民の大多数によって共有され、部分的にはエリートにも見られるという。それは次の三点に要約される。(1)農村共同体または血縁小集団の出来事としての一つとしての死、(2)日常生活における死および死者の現存あるいは死の慣れ、(3)人間の死に対する態度に決定的に介入する超越的な絶対的権威の不在。
以上のような態度はかならずしも日本人だけに見られるものではないが、以下の一連の特徴はきわめて日本的であるとされる。第一に、家族・血縁共同体・ムラ共同体は成員として生者と死者を含むこと。第二に、共同体のなかで「よい死に方をする」ことの重要性。第三に、「宇宙」のなかへ入って行き、そこにしばらく留まり、次第に融けながら消えていくという、死の哲学的なイメージ。第四に、「宇宙」へ入ってゆくさいに個人差が排除されること(徳川時代のエリートと大衆との死生観の違いは、儒教的言語と大衆仏教的言語との違いにすぎず、根底の宇宙感情は同じであって、この点は近代日本でも同様である)。第五に、感情的には「宇宙」の秩序を、知的には自然の秩序を、諦めをもって受容すること(この背後には死と日常生活との断絶、すなわち死の残酷で劇的な非日常性を強調しない文化がある)。
加藤の論述で注目すべき点は、まず、分析の対象が一九七〇年代以前の日本のエリート知識人に限られていることである。集団志向といい、伝統的価値といい、旧世代のみが「日本人」として一般化されている。これは加藤の論述のほとんど唯一の欠点である。次に、個人の死後に「来世」を考えないという指摘である。しかし、そこで言われている来世とは「ユートピア」的な「来世」のことであって、既述の意識調査の結果から判るように、漠然とした死後の世界や死者の場所は日本人の感覚にもそれなりに根強くあるのではないか。それに関連して、最後に、近代日本人一般の重要な特徴として挙げられた「象徴的不死性」(リフトンのターム)の意識の相対的な弱まり・希薄さという指摘は重要である。これを反転させて言えば、現世からフェードアウトしたところに死者の世界が位置づくということになるだろう。言うなれば、面と面とが向き合う平面上で、徐々に影のように薄まりながら、相互の背後・奥に消えてゆき、その先に個人差のない「もの」世界が広がるという感覚である。

  <現代的近代>における死生感
ここでの例として小田実『世直しの倫理と論理』上・下(岩波新書、1972年)をとりあげる。この選択は意外に思われるかもしれないが、M・ウェーバーにこだわる丸山真男よりも、小田のほうがむしろ純粋に戦後焼け跡世代の民主主義を体現している。なお、遺稿となった『中流の復興』(日本放送出版協会、2007年)からも補う。
小田は、無数の一人の生身の人間から出発する。それが意味するのは、人間を「生きもの」という視点から見るということであるが、この核心には「生きる」という抽象的な観念ではなく、「生きている」という生々しい存在感がある。そしてその延長上で、「死ぬ」とはたんなる「終わり=孤独」であり、ただそれだけのことにすぎない。このような生と死の見方の原点は、小田の場合、裸形の「骸(むくろ)」である。そこに「共に死ぬもの=連帯」という根源的な平等感が根ざしている。そしてその平等感に支えられて、「共に生きているもの=連帯」という感覚も芽生える。そこから、「どうせ死ぬのだから、なるだけ長生きしてなんとか安楽に生きていたい」、「生き続けたその先で(無様であろうと)死にたい」という切実な願いに駆動されつつ、自分のことは自分で決めたい(自由)、その自由を邪魔するものには共に反抗・抵抗せざるをえない、自由の度合いの拡大を人類の進歩とみなすという、社会的な広がりをもった思想と運動が展開されている。
小田の死生感は明らかに、上述した<伝統的近代>の形とは異質である。たんに「生きている」という感覚、とりわけ原点としての(一切の形を拒否するような)裸形の「むくろ」という感覚は、戦後の廃墟を強烈な臭気とともに想起させる。そのイメージは戦後民主主義を死体の側から象徴しており、<現代的近代>における死生感の一つの断面を純粋な形で表現していると言えよう。
ただし、裸形の「むくろ」という感覚は、<伝統的近代>のそれと表面上どんなに異質であろうとも、「もの」の無差別的な平等という感覚を反映しているように思われる。<伝統的近代>の底層の底をも貫いていた「もの」の感じ方との連続性は、例えば、福沢諭吉の「蛆虫」の視点(『福翁百話』第七話)と、小田の「虫瞰図」あるいは「虫ケラの視点」(上、五一ページ)とを照合すれば、明瞭に浮かび上がるだろう。あるいは、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」云々という宣言と「共に死ぬもの=連帯」との照合でも、おそらく同様であろう。
 ところで、小田と同じスタートラインから出発しながら、<現代的近代>のなかで「生」の理想を屈折した形で模索しているのが、見田宗介の『現代社会の理論』(岩波新書、1995年)である。このなかで見田は、現代の「情報化/消費化」社会は、人間の欲望と感受能力の可塑性と自由を根拠にして繁栄してきたが、環境・資源の臨界および南北の貧困という限界問題に直面している。そこでいま必要なことは、物質主義的な消費と手段主義的な情報というイメージの呪縛から離れ、自然収奪でも他者収奪でもないような生存の美学、つまりたんなる「禁欲」ではない「生の直接的な充溢と歓喜」の方向に、欲望と感受の能力を転回することである、と主張している。興味深いのは、見田の捉え方には、<今日的近代>の固有の位置づけがない点は別にして、ロマン主義的に屈折しながらも、ある面で小田のそれと重なるような「生」の感覚を漂わせつつ、しかし、不思議なことに、死の臭いもその場所も見あたらないことである。これもまた<現代的近代>の死生感の一つの断面ではあろう。

  <今日的近代>における死生感
ここでは、ふたたび東浩紀の、今度は『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』(講談社新書、2007年)をとりあげよう。ただし、この本では今日的な生がリアルに描き出されている反面、死の感じ方のほうは明確でないので、別の例で補うことにする。
東の、ポストモダン時代の「リアリズム」(メタ物語的主体、データベース消費、ゲーム的リアリズム)の分析は、<現代的近代>の世代の想像力をはるかに超えているだけに、興味深い。ただし、その延長線上で、「キャラクター」やその「パーツ」の「データベース」という、言説・物語を脱落させた「もの」の集積を、オタク系文化にだけ限定する必要はないように思われる。同様に、ポストモダン時代の生き方(「生きている」感覚)も、オタク的な文学・ゲームの世界に限ることはないだろう。なぜなら、データベースからの「もの」の産出は、物語の創作・享受の孤独な密室を超えて、すでに多様な形(製品)を生産するオフィス・現場へと拡大しているからである。じっさい、「かわいい」幼児的・女性好みの「もの」=形づくりの生産的な仕事の現場では、細やかな気配りや、パーツへのこだわり、日常性、遊び心、機能性の追求、などに溢れている。それらは、枯れた大人の欧州先進国でも、また若々しく経済発展する国々でも作りえない、まさに独特のキャラクターや製品の世界である。そして今日、それらは世界中の若者世代に受け入れられている。
 オタク世代は、共有された「大きな物語」からはもちろんのこと、「小さな物語たち」からも距離をおき、キャラクターやそのパーツの情報ストックであるデータベースに関心を向けている。そして適当にシミュラークル的物語を創作している。これが旧世代からいわゆる「薄い生」と評されるものである。しかし東によれば、「ライトノベルズ」や「美少女ゲーム」は、「メタ物語的主体」を「物語的主体」に引き込むことで「感動」を取り戻そうとしている。たとえそれがどれほど安直で類型化された「泣き」や「感動」であろうとも、そこには、とにかく一つの物語を選ぶこと、選択の痛みに耐えること、選んだものに責任をもつこと、という「メッセージ」が込められている。要するに、「メタ物語」と「物語」の関係は、終わりのない日常、つまり複数の先の見える退屈なシナリオ、あるいは主観的には無限で自由な選択肢を前にして、逡巡している<今日的近代>の世代の人生の隠喩にほかならない。
それでは、死の感覚のほうはどうか。小説・ゲーム・映画では、簡単に人を殺すことで悪評の高い「ループする時間」がしばしば登場するが、ポストモダンの世代にとって、それはゲームプレーヤーの視点の導入にすぎない。したがって、死への言及があっても、多様な人生のシナリオ、一つの人生の選択のもつ残酷さ、人生の多幸症的肯定、一瞬の楽しさ、選択されたものへの責任のように、あくまで生に関心が集中している。そこで、表現力の点で若者世代の先を行っている一つ前の世代の作品のうちに、それを探ってみよう。
アニメ映像作家の押井守は、二〇〇四年公開の映画作品『イノセンス』のなかで、未来社会における親密な関係の姿を描いている。主人公のサイボーグが心を通わせる相手は、生身の身体を感じさせてくれる犬だけである。加えて、人形に対して愛着をもち、またウェッブを通じてかつての恋人とも交信する。それが未来の家族の極限の形ということであろう(押井守『イノセンス創作ノート』徳間書房、2004年)。ただし、その恋人はコンピュータ・ネットワークのなかに情報体として存在する。未来の人間=サイボーグは生身の身体をもたないデジタル情報体である。多様なハード装置のあいだを移動できるデジタル情報体、それが未来の生者=死者の形ということであろうか。そこに暗示されているリアリティ感覚は、若い世代の享受する「一瞬の楽しさ」もその強度が減じてやがてフェードアウトするとみれば、未来の死生感を先取りしているように思える。
押井は二〇〇八年公開の最新作『スカイ・クロラ』において、今度は正面から、若者世代の生と死の形を描いている。衣食住の欲望が基本的に満たされた社会での、退屈きわまりない平凡な毎日と、辛く苦しくつまらない人生のなかで、「負け組」、「怠け者」、「だらしない」、「手応えがない」と嘲笑されながら、生き続ける意味を求めている若者世代。目指すべきものの不在に悩みながら、非日常のスリル・躍動感を渇望しているその姿が、商業化された戦争ゲームの戦士たち「キルドレ」に重ね合わされている。「キルドレ」たちは戦争ゲームにしか生きている実感をもてないばかりか、永久に死ぬこともできないのである。そこに浮かび上がるのは、影のように輪郭の薄い日常の生と、同じように輪郭の薄い日常の死とのあいだの、境界の消失である。

 むすびにかえて――未来のグローバルな死生感?

ここまで描いてきたことをまとめてみよう。生の感じ方の底層には、人をも含めた「もの」たちの働き合いの世界がある。その生の感じ方と死の感じ方とは対称的な鏡像の関係にある。生の感じ方は三つの世代順に、「平等」「行」→「生きもの」「生きている感覚」→「データベース的生産・消費」「薄い生」という形をとっている。他方、死の感じ方のほうは、「宇宙への帰入」「無」→「むくろ」→「デジタル情報体」「薄い死」という順になる。抽象的世界の拡大と親密な関係の変容につれて、あたかも重い殻が剥げ落ちるかのように、二つの感じ方は<共同体のなかの役割→連帯する個人→つながり合う薄い私>の方向にむかって並走している。
とはいえ、変容する死生感の底を、ものたちのあいだの根源的な平等、あるいは根本的な無差別という感覚が変わることなく貫いているように見える。それは「ただのもの」という感覚、つまり、カミも(異形・異常・畏怖をともなうとはいえ)「もの」であり、動物も、人形やロボットも、サイボーグも、人も、草花や風・星・雪も、すべて「もの」としては同列という感覚である。そしてこの感覚は、幾重にも複雑に覆っていた「制度」や過剰なイデオロギーという、重たい殻がますます剥落していく今後の世界において、「つながり合う薄い私」の延長線上に、むき出しの形で浮上してくるように思われる。
そのような「もの」感覚を、日本的な「伝統」の母胎としての「アニミズム」に回収してしまえば、そこから重要な中身がこぼれ落ちてしまうだろう。なぜなら、「アニミズム」が身体と魂との分裂、少なくとも身体からの魂の離脱可能性を含意するのに対して、「もの」は分裂しない、つまり、たんに動きのなかで形をとり、動きが止まることで形を失って殻となるにすぎないからである。「もの」の感覚は、たしかに「アニミズム」と重なり合う面もあるが、本質的にはむしろ、「アニミズム」以前(さらに「マナイズム」以前)の原初的な世界経験、ものたちとの原初的な出会いの感覚と言うべきであろう。
けっきょく、制度や過剰な観念が剥落し、「もの」がその動きの強度に応じて濃淡様々の(バーチャルな)形を身にまとうなかで、生と死は薄暗がりのうちに一つに融け合い、個性ある人格がしだいにフェードアウトして無差別のものたちのなかに融けてゆき、そしてそこからふたたび、一定の形をもつ「もの」として際立ち、立ち現われてくる。これこそ、人類の原初的な生と死の感覚の新たな形での甦りであるとするならば、同時にまた、未来世界のグローバルな生と死の感覚であると想像される。
 今日の若者世代は、上海でも、東京でも、あるいは、パリやニューヨークでも、「ジャパニーズ・クール」に共感しながら同時代を生きている。彼らの死生感はやがては一つに収斂していくのであろうか。少なくとも、「東アジア」の死生学を語るさい、そのようなグローバルな広がりを無視できないことだけは確かであろう。

(1)森下直貴「西田・三木・戸坂の思想と<ものの思考>―「経験と制度」の歴史哲学への視座」(『<昭和思想>・新論――二〇世紀日本思想史への試み』津田雅夫編、文理閣、第二章、2009年4月刊行予定)。
(2)私自身の観察・聞き取りから言えば(2008年4月〜5月)、スウェーデンでもここ30年間、死者のシンボルとして、教会の伝統的な十字型から、鳥・花・夕日など個性的かつ自然的なものを取り上げる傾向になってきている(リンシェーピン市の地元発行の新聞紙面)。これに今日のスウェーデン人の正統信仰離れを考え合わせたとき、日本人に見られる動向との共通性が浮かび上がり、グローバルな世界の今後を占う意味で興味深い。
(3)例えば、奈良泰明「死者との交わり」上・下、中日新聞2007年12月16日及び23日
(4)井上治代(『墓と家族の変容』岩波書店、2003年)によれば、家族と墓の見方は1990年代の半ばあたりが転機となるようである。戦前からの「家」=墓観念は、戦後の核家族になっても保持されていたが、核家族じたいの変容・変質が動かしがたい現実となった時期に、決定的に消失したとされる。そして現在、家族を含めたゆるやかなつながり合いや自然との一体感のなかで、多様な死後=墓の形が模索されている。
(5)所在地はすべて浜松市内であり、学生も圧倒的に近隣周辺に在住している。文化芸術系大学(学生数67名、男女比14:53、2007年10月1日実施)では、芸術系のしかも女性が多いためか、それぞれ22%、45%、34%であった。看護福祉系大学(166名、うち男子学生37名、同年10月10日実施)では、キリスト教系の大学にもかかわらず、それぞれ20%、49%、31%であった。医療技術系専門学校(65名、男女比ほぼ半々、同年12月14日実施)では、科学的要素が比較的強く、それぞれ38%、51%、10%であった。
(6)なお、読売新聞2007年5月実施の世論調査では、特定の宗教を信じていない割合が72%、また、死んだ人の魂について「生まれ変わる」30%と「別の世界に行く」24%を合わせると半数を超えている点で、石井のまとめと似通った結果が出ている。なお、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%となっているが、世代別の違いは不明である。読売新聞2008年5月29日)。
(7)例えば、中西新太郎「社会への出にくさとは何か」『教育』NO.743、2007。
(8)鶴見俊輔『日本人のこころ』岩波書店、1997年。
(9)村上泰亮『新中間大衆の時代』中央公論社、1984年。
(10)橋川文三『ナショナリズムの諸相』(名古屋大学出版会、1994年)、成田龍一『大正デモクラシー』(岩波書店、2007年)、など。
(11)山之内靖ほか編『総力戦と現代化』(柏書房、1995年)、野口悠紀男『新版1940年体制』(東洋経済新報社、2002年)、など。
(12)小熊英二『民主と愛国』新曜社、2002年。
(13)詳しくは森下前掲論文を参看されたい。
(14)『福翁百話』第七話「人間の安心」および第十話「人間の心は広大無辺なり」。

 
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