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「先人の知恵を味わうグルメの旅シリーズ」 ❷「三つ子の魂 百まで」: もりした なおき  
交流の広場 | 2021.10.04

「先人の知恵を味わうグルメの旅」シリーズ

「三つ子の魂 百まで」

もりした なおき


先日、一冊の本を読む機会があった。本の表紙には「21世紀」「変革」「思想」という文字が踊っている。

一読して著者との思想上の距離を感じた。30〜40年前にはずっと近い距離にあったはずだ。私も「変革主体」という言葉が好きだったから。それなのになぜ埋めがたい距離を感じたのか。時代の雰囲気というものがある。若い時分の私もご多分にもれず、同世代の若者の多くが影響を受けた思想圏の中にいた。

その後の私はそこから離れていった。私が変わったのだ。


しかし、どのように変わったのか 気になった。

そこで、当時の自分が書いた論文を引っ張り出して読んでみた。それが「マルクス思想における『全体的人間』−−技術主義と享楽主義を超えて」(1987年)である。その中で私はマルクス主義の歴史観(史的唯物論)を文献に内在して批判している。史的唯物論では生活=労働(生産)が中心軸にあるが、それでは人間の存在を全体的に捉えたことにはならない。労働(生産)だけでなく、遊戯を含めて多様な活動を包括する必要があるという趣旨であった。

また、翌年には続編として「『遊ぶこと』の意味」を書いた。


人間存在の全体性に対する関心と視点。

それは当時も、その後の哲学的人間学の研究も、そして現在も変わっていない。

昨年上梓した『システム倫理学的思考』はまさにその視点を四次元相関として論理化し、人間の意味世界の全体を把握したものである。

だから、実は 私は変わっていないのだが、なぜ変わったと思ったのだろうか。

思想にも表層と深層がある。

表層は時代や他者の思想から借りてきた部分であり、

深層は自分の関心に基づく思索の部分だ。

時間とともに表層が剥がれ落ち、深層が露呈したのだ。


ただし、深層の根本志向は変わっていないが、現在の境地にたどり着くまで30年を要した。

その間、人間存在を成り立たせる条件の把握と連関づけを求め続けて格闘したが、全体的な直観を論理化する手がかりは容易には得られなかった。人間存在が把握できないとなると、社会そして倫理の複雑性を説明できない。

やむを得ず「複雑性に耐える思考」が大事だと言っていたこともあった。


転機が訪れたのは2012年の冬、ニクラス・ルーマンの『社会システム論』を読んだときだ。

「コミュニケーションシステム」という観点を知って人間と社会と倫理の複雑性を解明する道筋が見えた。その観点だけでよかった。その後は独力でシステム倫理学を作り上げることに没頭した。

(なお、ルーマンの社会システム理論との違いについては別論考にまとめている)


結局、若い頃からの関心は 老年の現在でも変わっていない。

人間存在の全体を把握しようとする志向は一貫している。

もちろんその後の努力と偶然の出会いがなければ、現在の私はいない。たんなる直観を論理として精緻化することはできなかった。

その意味では変わったともいえるが、その変化もじつは同一線上の深化であり、洗練化ということだ。進化である。


ところで、40年間を振り返り、若い頃と現在を比べているうちに、上述の根本的な関心とは別に、もう一つ変わらない自分がいることに気づいた。

それが 生きるための価値の拠り所の探求 である。

私は高校生の頃からなぜか「思想」に関心があった。

しかし、認識と存在をめぐる「哲学談義」に馴染めなかったし、哲学史や思想史は好きだが、その地道な研究には向いていないと思った。むしろ、思想という言葉で私が求めていたのは、社会の種々の問題に関して自分なりの考えで判断し行動すること、つまり、生きるための価値判断の拠り所だった。

そこで大学では哲学分野の中でも倫理学を専攻したが、本音をいえば自分の思想が得られればそれでよかったのである。


そういう姿勢は学者としては欠陥であるが、それも性分なので如何ともしがたい。

四次元相関の論理を駆使して精緻な分析をしているように見えて、最後は自分の思想を押し出し、性急にまとめてしまう。無理やりの体系癖と独りよがりの思想の奇妙な同居。

そこに共通するのは具体的な経験の欠如、つまり観念性である。

その点は今も変わらない。若い頃と現在が違うのは自分なりの思想、つまりコミュニケーションの思想と世代の思想を持てたことであるが(これについても別論考に書いている)、相変わらず観念的である点で苦労している。


「三つ子の魂百まで」という諺がある。

人は変わらない。もちろん年齢とともに変わっていくが、それを貫いて変わらないものがある。変わらない中で変わっていく。それが人生だ。

人生100年時代にふさわしい諺だと思う。

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